メキシコにて @



 重苦しく不快な夢から、サイトーは覚醒した。
 見開いた視界いっぱいに広がるオレンジ色に目を瞬く。
 夕日に染まった部屋の天井。
 サイトーはゆっくりと首を巡らせ、自分が小さな暑苦しい部屋のベッドに寝かされていることを確認した。
 左手の窓から、夕暮れの空が見える。
 ――ここは……?
 どこだろう、と思いながら身体を起こそうとしたサイトーは、体重をかけた左腕に激痛が走り思わず呻いた。
「……っ! ……?」
 右手で庇うように触った左腕に厚く包帯が巻かれていることに気付き、一瞬混乱する。
 それに、視界が狭い。
「……ああ、そうか……」
 左眼の辺りに手をやり、そこにも厚く包帯が巻かれているのを確認してやっと、左眼と左腕を失ったばかりだったことを思い出したサイトーは、ため息をついた。
 そうか、そうだった。
 おれはもう、二度と――。

「よお。大丈夫か」
 突然声をかけられ、サイトーは飛び上がった。
 いつの間にか部屋の入り口に、食事のトレーを持った髭の男が立っている。
 男は後ろ手に戸を閉めると、
「暑いなここは」
と言いながらベッドサイドの小さなテーブルにトレーを置き、
「寝苦しかったんじゃねぇか?」
と、ベッドの右側から身を乗り出すようにして窓を開けてくれた。
「おれを覚えてるか? 少佐がお前を連れてビルを降りてきてから、お前の応急手当をしてやっただろ」
「ああ……あんたか……」
 自分の左眼を撃った上に、左腕も切り裂いた女。彼女に地上に連れて行かれた先で、黙って手当てしてくれた髭の男だと、サイトーはやっと気付いて呟いた。
「お前、あのあとすぐ気絶しやがったからな。病院のある基地まで連れてくるのは大変だったぞ」
 ま、その責任はあのメスゴリラにあるがな、と付け足しながら、髭の男はトレーを指差した。
「食欲があるなら食え。おれたちが使ってる箸を用意してやったから。言っておくが明後日には体力回復しといてもらうぞ。移動だからな」
「移動?」
 手に取ったトレーの上の料理を眉をしかめながら見て呟いたサイトーに、イシカワはにやりと笑いながら言った。
「お前の処遇は少佐が……例のあの女が全部手配してな、お前は今後おれたちと行動を共にすることになった」
「あんたたちは、日本人か?」
「まあな。お前もだろう? サイトー。おれはイシカワ。ま、とりあえずさっさと食え。トレーはおれが片付けることになってるからな」
 イシカワは腕を組んでベッドサイドに置いてある椅子に腰掛けた。
 サイトーが食べ終わるまで待っているつもりらしい。
「……見られてると食べにくい。出てってくれ」
 手に取った箸で扉の方を指したサイトーに、
「気にするな。食い終わったら出て行く」
と涼しい顔で答えたイシカワは椅子を立ち上がる気配もない。
「…………」
 それ以上言い争う元気も無いサイトーは、ため息をつくと不味そうな料理に目を落とした。

―――

 右手で持った箸で、あまり新鮮ではないサラダの野菜をもたもたとつつくサイトーは、やはり左ききだったらしい。思い通りに食べられず、また、もとより食欲がないせいだろう、サイトーの食事のスピードは極めて遅い。
 箸を用意したのは、サイトーが日本人だからという親切心からではない。これから仲間になるサイトーの利き腕を、イシカワが確認したかっただけである。今のサイトーには、皆が使っているフォークの方がよっぽど食べ易かっただろう。
 ――利き腕を潰されて気の毒ではあるが……スナイパーとしてはもう使えねぇだろうに。何を考えてるのかね、あの少佐は。
 少佐とやりあった時の状況を聞く限り、スコープにあてていた左眼を潰されたらしいので、効き目もまた、左なのだろう。
 イシカワは目の前の元傭兵に同情を感じつつも、厄介者を抱え込んだだけではと危惧もしていた。
 しばらくすると、平らな皿の中で逃げ回る豆をイライラと箸で追いかけていたサイトーは、ついに箸をトレーに叩きつけ、
「もう下げてくれ」
と、吐き捨てるように呟いた。そのままトレーをサイドテーブルに戻す。 
「ちゃんと食っとけ。回復しねぇぞ」
「回復しなけりゃ、置いていけよ」
 食欲もねぇし、と付け足した元傭兵は、ふてくされたようにシーツを被って横になってしまった。
 ――やれやれ、先が思いやられるな。ガキのお守りはごめんだぞ、少佐。
 口には出さず呟き、肩をすくめたイシカワはトレーを手にとって部屋を出た。






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