メキシコにて A



  頬に冷たい空気を感じ、サイトーは目を醒ました。
 相変わらず狭い部屋だが、ゆうべとうってかわって室温が低い。
 左側を見ると、開いた窓から明るい朝の空が見えた。
 昨日、夕食の後おざなりな診察を受け、鎮痛剤だとかで注射されたのだが、そのせいかやたら眠くなった。うとうとしていたことまでは覚えているが、その後窓も閉めずに眠っていたらしい。
 サイトーは薄いシーツを被ったまま起き上がると、身震いした。手を伸ばして急いで窓を閉めると、足元に薄い毛布が畳まれて置いてあるのを見つけた。
 昨日は無かった毛布だ。誰かが持ってきたのだろうが、既に寝ているサイトーに掛けてくれるわけでもなく、窓を閉めるわけでもなく、ただ置いていったらしい。
 サイトーは、ふん、と鼻で笑うと、毛布を広げた。ここが病院と言っても、医療スタッフも軍属の人間である。サイトーが狙撃した何名かの者たちの中に、知り合いでもいたのかもしれない。
 薄く小さな毛布を肩に引っ掛けると、サイトーはベッドを下りた。ゆっくり立ち上がると頭と左腕に鈍い痛みを感じたが、我慢できないほどではない。小さく唸りながらどうにか靴を履き(靴紐は片手なので諦めた)、部屋を出る。
 扉に鍵がかかっているかと思ったが、古い引き戸には鍵穴すら無かった。自動開閉装置もついていない。この建物自体が相当古いものらしい。扉を引き開けると、牢獄のように暗く静かな廊下に出た。
 窓も無い狭い廊下をうろつき、やっとトイレを見つけたサイトーは、片手で不自由ながらどうにか用を足す。
「……ふぅ」
 部屋に戻る途中で足を止め、サイトーは無意識に息をついた。鎮痛剤が切れてきたらしく、ひどく傷が痛み始めたのだ。 
 部屋の前に戻る頃には、足を踏み出すたびに左眼と腕の傷は耐え切れないほど疼くようになっていた。

 引き戸を開けると、部屋の中には義眼の大男が座っていた。
「朝食だ」
 小さな椅子に窮屈そうに座った男は、食事のトレーを指して低い声で言った。
 苦痛の表情をさっと引っ込めると、サイトーは黙って頷きながらベッドに戻る。記憶を探り、男がイシカワの仲間の一人だったということを思い出したが、名前はわからない。
「……お前も食事を見張るのか?」
 トレーを手にとってベッドに座ったサイトーは、昨日のイシカワのように腕を組んで椅子に陣取っている男に苦笑いしながら言った。
「まあな」
 男はそれだけ言ってまた口を閉じる。
 サイトーは気にせずトレーを見下ろし、今日は箸ではなくフォークが皿の横に置いてあることに、少しほっとする。食欲は相変わらず無く、ひどい痛みに苛まれてはいたが、フォークを手に取り黙って皿の料理をつついた。
 半分ほど口に押し込んだところで、痛みが限界にきたサイトーはフォークを置き、
「もういい」
と、トレーを男に差し出した。
 男は黙ってトレーを受け取ったが、そのままテーブルに置いてしまった。
「もう出てってくれ。もう少し寝たい」
 サイトーは、落ち着き払って座ったまま出て行く気配のない男を苛立って睨みつけた。義眼の者は表情が読みにくいから苦手だった。それに、義体化率が高く、行動も口調も粗暴な場合が多い。髭を生やし、いくらかお節介そうな振る舞いを見せたイシカワからはまだ人間の匂いがしたが、この男からはそれが匂ってこないことも、サイトーを苛立たせた。
「昨日は診察を受けたのか?」
 男は腕を組んだまま尋ねてくる。サイトーは義眼の男の遠慮のない視線を感じたが、苛立ちをぐっと抑えて答えた。
「ああ。一応な」
「痛み止めはくれなかったのか?」
 男の鋭い視線に、いまや耐え切れないほどズキズキと痛みを感じているのを見透かされたようで、サイトーはさらに表情を硬くして答えた。
「ゆうべ、それらしい注射はされた」
「薬は貰ったか? 食事の後とか、痛むときに飲むやつを」
「いいや」
 すると、
「……やれやれ、やっぱりな」
 大きな声で言った男の表情が、不意に緩んで和やかになった。その途端、人間らしい空気が男に漂う。
「お前も意地っ張りだな。それだけの怪我して、痛くてたまんねぇくせによ。ポーカーフェイスか?」
 そして、ほらよ、とポケットから出した錠剤の入った小瓶をサイトーに渡した。
「鎮痛剤だ。飲んどけ。お前の待遇があんまり良くなさそうだってな、イシカワに持たされたんだよ」
 呆気にとられているサイトーに、男は構わず続けた。
「少佐がお前を勧誘したらしいな」
 サイトーが黙っていると、
「明日は別の基地に移動だから、少し歩くぞ。大丈夫なのか?」
と、心配そうに付け足した。
「……歩けと言われれば、歩ける」
「ほんとかよ」
「……これ、本当に鎮痛剤だろうな?」
「飲んでみりゃわかる」
 疑いつつも早速、錠剤を数粒出して口に入れているサイトーに、水の入ったグラスを差し出した男は言った。
「一応名乗っとくが、おれはバトーだ」
 ごくり、と水と一緒に錠剤を飲み込んだサイトーは、
「あんたの仲間は、お節介だな。バトー」
「親切と言え。素直じゃねぇ奴だな」
「…………」
 グラスをバトーに返しながら、サイトーはじっと相手を見つめた。

 この男と、昨日の髭の男と、そしてあの女。明日から仲間として一緒に行動するのだ。
 ――だが、何のために? 狙撃手として使えない自分を、一体どうするつもりなのだろう。
 困惑しながらも、サイトーはこの新しい境遇に、わずかな望みを見出せる気もし始めていた。 



                                    


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