メキシコにて B



 バトーから貰った鎮痛剤を飲むと眠くなったらしいサイトーは、それから昼食も食べずにずっと眠っていた。
 昼過ぎ、バトーが何度目かに部屋を覗くと、サイトーは赤い顔をしてうっすらと額に汗を浮かべてまだ眠っていた。
 怪訝に思って額に手をあてると、明らかに発熱している。怪我のせいもあるだろうが、ゆうべは冷えたし体力も落ちているから、もしかしたら風邪でもひいたのかもしれない。そう思って、バトーは顔をしかめた。
 生身の、しかも怪我をしているスナイパーを、あの女は一体何のために保護したのだろうか。
 ため息をつくと、バトーは適当な薬を探しに部屋を出た。

―――
 
 移動当日の朝、サイトーの部屋を覗いたバトーは、サイトーがすっかり身支度を済ませているのを見て、
「もう熱は下がったのか?」
と、驚いて尋ねた。前日の夜、バトーが最後に熱を計ってやった時には、39度にまで上がっていたのである。
 しかし、
「さあな」
 他人事のように言ったサイトーの顔はまだ赤い。バトーはそのことに気づくとサイトーにさっと近寄った。
「……おい、まだ熱いぞ」
 とっさに身を引こうとしたサイトーの腕をつかまえて額に手を当てたバトーは、嫌がるように身を捩るサイトーの右腕を強く握りしめた。
「よせ、放せ。大したことねえよ、これくらいの熱で……」
「わかってねぇな。途中で倒れられたりしたら、おれたちが迷惑するんだよ。それとも背負ってってもらいたいのか?」
 握り締めた腕を引き寄せ、バトーが低く唸るように言うと、頑固に腕を引こうとしていたサイトーが一瞬ひるむ気配をみせた。
「……じゃあ、置いていけば……いいじゃねぇか」
 強がりを言い返すが、声に力が無い。よく見ると、足元もふらふらと頼りなく揺れているのだ。
「あのなあ……」
 呆れてため息をついたバトーは、目の前に立っているスナイパーの顔をじっと見つめて考えた。
 自分たちに置いて行かれるということは、サイトーにとって、ここで死ぬか、すぐに逃げるかという命がけの選択を迫られるということだ。
 今はまだ、素子が目を光らせているから誰も手を出していないだけだ。
「じろじろ見るな」
 急にじっと顔を見つめられ、サイトーは不快感も露わに顔を逸らせる。
 それでもバトーはサイトーから目を離さなかった。
 ぐっしょり汗をかき、熱で顔を真っ赤にして、それでも必死にポーカーフェイスを保とうと空しい努力をしている包帯だらけのスナイパーを、ここで見捨てるのか?
 バトーは数日前、サイトーがみせた見事な腕前を思い出した。少佐はもしかしたら、こいつなら利き腕も目も義体になっても十分あのレベルを保てると考えているのかもしれない。
「……確かに、もったいねぇよな」
「なんだと?」
 バトーの呟きをどう捉えたのか、サイトーは顔をしかめて片目で相手を睨みつけた。だが、熱のせいで目が潤んでいるので迫力はない。苦しそうに肩で息をしながら、額に浮いた汗を腕で乱暴にぬぐったサイトーは、バトーを押し退けて足を踏み出した。
「これくらいじゃあ、倒れねぇし、薬さえあれば……」
「――おっ、と!」
 一歩踏み出した途端よろめいたサイトーを、バトーは慌てて支えた。
 熱い体温が服を通して伝わってくる。どう考えても何時間も歩かせるのは無理だ。
 こうなったら何としてでも出発を遅らせるしかない。
――仕方ねぇな。
 バトーはその身体を一瞬抱きしめ、驚いてこちらを見上げたサイトーに、
「悪いな」
と呟くと、そのままベッドに押し倒した。

「……何を……」
 いきなり大柄なバトーに圧し掛かられ、乱暴にシャツを裂かれて首筋を舐め上げられたサイトーは狼狽した。
「やめろ!」
 必死で身体を捩り、バトーの胸を押し返した途端、怪我をしている左手を乱暴に掴まれ、右頬を平手で殴られた。続けて左頬、そしてまた右頬を殴られ、意識が朦朧として力が抜ける。
 その隙に服を剥がされ、身体をひっくり返されたのがわかったが、既に抵抗すらできなくなっていた。
「力を抜いてろよ」
 低い声で言われ、後ろでベルトを外す金属音が聞こえる。
 バトーがしようとしていることを悟って、サイトーは朦朧としながらも恐怖を感じて枕にしがみついた。
「どうして……」
 顔を枕に押し付けてくぐもった声で呟いたが、返事はない。
 ひやりとした義体の手のひらに腰を掴まれ、過去にも経験のあるあの苦痛に襲われることを覚悟したサイトーは、枕の中で固く目を閉じた。

―――

「……何を考えてる」
 呟いた素子は柳眉を逆立てて全身から怒りを噴き出していた。
 その隣でイシカワは渋い顔で腕組みをしている。
 目の前には、電脳錠を挿されたバトーが、悪びれもせず座り込んでいた。

 数十分前、サイトーを迎えに行ったはずのバトーが戻らないのを怪訝に思ったイシカワが部屋を覗くと、裸でぐったりと意識を失っているサイトーの横で、バトーが悠々と自分の服を整えている光景を目の当たりにしたのだった。
 呆れて声も出ないイシカワの後ろから、やはり様子を見に来た素子が同じものを見て息を呑んだ。
 次の瞬間、部屋に飛び込んだ素子はバトーを引き倒して電脳錠を挿し込んのだが、その間バトーは抵抗する気配もなかった。
 バトーを部屋から引きずり出し、サイトーの手当を口止め料を掴ませた医師に頼んでから、この別室へやってきたのだ。

「今日中に出発は無理だな。……まったくとんだ不祥事だ」
 どうにか怒りを抑え込み、呆れたようにため息を落とした素子は、
「義体のくせに、性欲くらい制御できなかったの?」
と隊長口調から普段の口調に戻って言った。
 バトーはただ、肩をすくめる。
「口で言っても無駄。こいつはまだ若いからコントロールできないんだよ」
 イシカワがそう言って素子の肩を叩いた。
「とりあえず駐留延長の手続きをしてこいよ。早く行かないとテントが無くなるぞ」
「……あんたも身に覚えがあるんじゃないでしょうね?」
「まさか。おれはこいつほど馬鹿じゃない。もっと上手くやるさ」
 にやりと笑ったイシカワに、呆れたような視線を投げてから、素子は足音も荒く部屋を出て行った。
「さて、バトーよ」
 イシカワは笑顔を崩さないまま、バトーの目の前に屈みこんでその顔を覗きこんだ。
「目を瞑るのは今回だけだぞ。あのスナイパーを置いていきたくなかったのはわかるが、やりすぎだ。馬鹿」
「……わかってたのかよ」
「当たり前だ」
 イシカワは拳で若いレンジャーの頭を軽く小突くと、電脳錠を外しながら言った。
「少佐は多分、わかってなかったけどな。……いや、どうかな」









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