酔っ払いのワルツ  @ パズサイ


 今日は妙な日だ。
 サイトーははっきりしない頭を振って、もう一度目の前の同僚の顔をまじまじと見た。

「サイトー、ウォッカはないのか」
 自分のセーフハウスにパズがいる。
 しかも、昔から住みついているようなこの大きな態度は何なんだ。
「……そんなもんねぇよ」
 サイトーはため息をついて時計を見上げた。時刻は午前3時半。
 今日は日付が変わる前にどうにか仕事が終わり、くたくたに疲れていたため後は帰って寝るだけと思っていたのに、何故かこの展開だ。

 何でこいつを部屋に入れたんだったかな。

 今日は帰ると言っているのにパズにしつこく食事に誘われ、しぶしぶ付き合ったのだが、そのあとをよく覚えていない。随分酒を飲んだと思うのだが、いつの間にか自分のセーフに戻っていたのだ。
 何故かご機嫌のパズと共に。
 おそらく、サイトーが酔っているのをいいことに、送るとか何とか言ってそのまま強引に上がり込まれたのだろう。
 今は酔いの醒めたサイトーは、まんまと上がり込んだという形容がぴったりの同僚を忌々しく睨み付ける。

「んだよ、ウィスキーしか置いてないのかよ」
 人の部屋で、しかも既に酒を出されているのにもかかわらず、このデカイ態度はどうだ。
 サイトーは仕方なく、
「別の酒が飲みたいのか?」
と、テーブルを挟んで向かいのソファに座ったパズを見上げた。家主だというのに、こちらは床に直接座らされているのだ。
「何だ、あるんじゃねぇか」
 空になったグラスをつまらなそうにもてあそんでいたパズが、サイトーの一言にニヤッと口の端を上げた。面倒なので、最初にウィスキーのボトルとグラスを二個出しただけで、他には何のもてなしもしていないのだ。

 ちなみに、パズがさっさとソファに陣取ったのには理由があったのだが、そんなことはサイトーは知る由もない。パズの視線が、上からサイトーのはだけた胸元をずっとさ迷っていることも、時折サイトーが顔を上げて話すと、上目遣いの表情に何やら想像を掻き立てられてほくそ笑んでいることも全く気付いていないのだった。

「そうだな、確か日本酒と……こないだイシカワにもらった泡盛がある」
「イシカワに?」
「ああ。イシカワも人からもらったらしいんだが、何本もあるからってな。このあいだ一緒に飲んだ時、泡盛の話が出たから」
「イシカワと飲みに行ったりするのか、サイトー」
 何故かきゅっと眉を寄せたパズが言った。心なしか不機嫌な声だ。
「たまにな」
「何で」
「何でって……仕事の後に誘われる時があるんだよ」
 サイトーが肩をすくめると、パズはますます不機嫌そうな顔になった。

 イシカワがおれと飲みに行くのがそんなに気に食わないのか?
 サイトーはパズの顔をちらりと見上げた。もしかしたら、パズもイシカワと飲みに行きたいのに、自分が誘われないのが気に入らないのかもしれない。

「飲みに行って……そのあとどうすんだよ」
 不機嫌なパズは尚も聞いてくる。
「そのあと? あぁ、二軒目は大体イシカワのいきつけのバーだな」
「そのあとは?」
「三軒目まで行くことは滅多にねぇよ」
「そうじゃなくて」
「はぁ? ああ、そういえばこないだはあんまり遅くなったんでイシカワのセーフハウスに……」
「行ったのか!?」

 がん、と大きな音がして、何故かローテーブルに膝をぶつけたパズが呻いて足を押さえた。そのはずみでウィスキーのボトルが倒れて中身が飛び散り、サイトーの胸元にまで酒が飛んでくる。
「っおい! 何やってんだ!」
 慌ててボトルを起こす。何か拭くものをと思い、立ち上がってキッチンへ行こうとすると、パズの声が追いかけてきた。
「ちょっ……! 話の続きは!」
 話? 続きがあったか?
 サイトーは顔をしかめながら、キッチンに置いてある布巾を取って部屋に戻った。

「あー……こんな遠くまで飛んでやがる……」
 テーブルを拭き、床に点々と落ちている水滴も拭いながらぶつぶつ言っていると、
「それで、行ったのか?」
とパズが尋ねてきた。
「あぁ?」
 何の話だよ、ときょとんとしてサイトーが返すと、パズは苛々した口調で言った。
「だから、イシカワのセーフに行ったのか?」
「あぁ、その話か。行ったよ」
「行っ……たのかよ」
「ああ。意外といい部屋だったな」
 ほかに酒は飛んでないか、ときょろきょろしながらサイトーが答える。
「で、泊まったのか」
「泊まるだろ。もう遅かったし。あそこ、暖炉とかキングサイズのベッドとかがあったりして面白いんだぜ。イシカワもいい趣味してやがる」
「……!」
 パズが目を剥いたが、部屋の隅に水滴を発見してそちらへ移動するサイトーは上の空だ。

「で?」
「で、って?」
 ごしごしごし。酒を拭くサイトーの手は止まらない。
「泊まったんだろ?」
「あぁ、だけどそういや寝られなかったなぁ、結局」
「なに?!」
「イシカワがなかなか寝かせてくれねぇんだよ。久しぶりだからって、しつこくて」
「な……な、にぃ……!!」
 パズはもつれあう二人を想像し、たちまち嫉妬と妄想の世界に突き落とされる。
「イシカワもかなり溜まってたみたいだな」
 サイトーはそう言って屈託なく笑った。

 客が来るのが久しぶりだからと、イシカワはつまみやら酒やらいろいろ出してきて、挙句の果ては酒のウンチクが始まってしまい、結局朝までそれが続いたのだ。一日中ダイブルームで過ごすことの多いこの髭の男は、よっぽどお喋りを胸の内に溜め込んでいたのだろう。
 サイトーは自分の言葉が足りていないことに全く気付かないまま、布巾を持ってテーブルの前まで戻ってきた。ふとパズの顔を見てぎょっとする。
「ど、どうしたんだ、パズ」
 嫉妬とショックのあまりものすごい形相になっていたパズは、サイトーの言葉でハッと我に返った。
「いや、何でもない」
「……今度イシカワに誘われたら、お前にも声をかけようか?」
 イシカワとそんなに飲みに行きたいのかと思い、気を遣ったサイトーがおそるおそる尋ねる。
「おまえ……もしかして、さ、三人で……?!」
 どうにか落ち着きを取り戻したところだったパズは、サイトーのその一言で、また妄想の世界に引き摺り戻されてしまった。
「二人より、三人の方が楽しめるだろ?」
 サイトーはあくまでも好意で言っているのだが、
(サ、サイトーにそういう趣味が……)
と、パズの妄想には拍車がかかるばかりだ。

「……少し、勉強しておくから」
 ゆらりと立ち上がったパズが呟く。
「今日は、帰る」
「そ、そうか?」
 頷いたサイトーは、何を勉強するのだろう、と思いながらもふらふらと出て行くパズを玄関先まで見送る。
「気をつけて帰れよ」
「……サイトー」
「なんだ?」
「お前も、くれぐれも気をつけろ」
「は? あ、あぁ」
「イシカワも、きっと一度じゃ終わらねぇぞ」
「はぁ?」
(くそっ! 二度と手は出させねぇ!)
 疑問符が頭の上に無数に飛んでいるサイトーを残し、パズは敵意を撒き散らしながら家路についた。

 サイトーは扉を閉めながら首を傾げた。
「何なんだあいつ……そんなにイシカワが好きなのか?」
 

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