はじまりはいつも A
ロッカーの扉を開け、扉の裏の鏡に映った自分の顔がいつも通りの無表情なのを見て、サイトーはちょっと驚いた。内心、こんなに動揺しているのに、顔には全く出ていない。自分でも妙に感心してみる。 ここのところパズの態度がおかしいとは思っていたのだが、こういうことを考えてやがったのか。 サイトーはため息をついた。 ――だめだ。仕事の前だ。深く考えるのはやめよう。 頭を振ると、とりあえず上半身だけでも着替えようと、濡れた服を脱いでから、ロッカーに入れてあった予備の服を取り出した。タオルも引っ張り出すと、適当に身体を拭い始める。 すると、 「よお、やっぱり雨に濡れたな」 と、後ろから声をかけられ、振り向くとバトーがロッカールームに入ってきたところだった。バトーの後ろから、パズが続いて入ってくる。 「あーあ、ビショビショじゃねぇか」 笑いながら、バトーはサイトーの濡れた坊主頭に手をかけようとする。 「大したことねぇよ」 後ろからパズの視線を感じ、サイトーはやんわりとバトーの手を払った。 そして、 『9課でそういう態度はよせ』 と、電通に切り替えた。 『いいじゃねぇかこれくらい』 バトーも電通に切り替えると、そのまますいと離れて自分のロッカーを開けながら、 『パズに気を遣ってるのか?』 とからかうような調子で訊いてきた。 『……まさか』 サイトーは拭き終わったタオルをロッカーに放り込み、乾いたシャツを広げながらむっつりと言葉を返した。 『そんなわけねぇだろ』 パズが背後のロッカーで物を取り出している気配が、サイトーを妙に落ち着かない気分にさせる。 『ま、どっちでもいいけどな』 バトーはロッカーを閉じると、サイトーの背後を通りながら、 『もしそうなら、さっさとその服を着て脇腹のキスマークを隠した方がいいんじゃねぇかな』 と言いつつ、すれ違いざまにサイトーの裸の脇腹を人差し指で撫で上げた。 「……っ!」 思わず声を上げそうになったサイトーは、慌てて声を噛み殺し、急いでシャツに袖を通した。 『クソッ……! 痕をつけるなっていつも……』 サイトーはとっさに抗議しようとしたが、バトーの肉声に阻まれた。 「パズ、今日はボーマと例の張り込みか?」 バトーに声をかけられたパズは、慌ててシャツのボタンを留めているサイトーの方にちらりと目をやってから、 「ああ」 と、短く返すと、バトーの後からロッカールームを出て行った。 ――― 二人が出て行ったあと、サイトーはやっとロッカーを閉じてため息をついた。 バトーと肉体的な関係を持ち始めたのは随分前のことだ。が、これまで9課の人間にそれを悟られなかったのは、その関係がただの性欲の処理のためだけのもので、それ以上の意味はなかったからだ。 最近9課に入ってきたトグサとバトーがお互いを意識し始めていることに気付いてから、サイトーはバトーを誘わなくなり、バトーの方も誘ってこなくなった。 だから、このままこの関係は無くなるのだろう、と何となく思っていたのだが、夕べ、二人きりで酒を飲みに行ったらやはりそういう流れになり、バトーのセーフハウスで久しぶりに抱かれた。 バトーの考えていることはわからないが、今朝、バトーのベッドの上で裸で目覚めた時、サイトーはまるで後悔にも似た感情に襲われた。 トグサに対する気遣い、とは違うような気がする。 では、何なのだろう。 サイトーは、さっき、パズに抱きしめられた感触を思い出した。 パズに抱かれたら、どんな気分なのだろう。 そう思ってから、サイトーはそう考えた自分に嫌気がさした。 おれは、これまでバトーがしてきた役割を今度はパズに求めるつもりだろうか? |
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