追憶 @



 その日、パズが仕事を終えてようやくサイトーのセーフハウスを訪れたのは、約束の時間をとうに過ぎてからだった。

 今朝、茅葺総理に届いた一通の脅迫状のおかげで、今日は一日ひどく忙しい思いをさせられた。脅迫状の逼迫した内容から早急な対応を迫られたのだが、赤服たちによる脅迫状の鑑識結果が思いのほかすんなり出たことと、イシカワの手際のよい検索のおかげで、午後には犯人と目される人物の家を突き止めることができた。
 しかし、その結末は意外なものだった。

―――

「よお、今日は大変だったみたいだな、パズ」
 玄関扉を開けてくれたラフな格好のサイトーを見て、パズは無意識にほっと息をついていた。馴染んだサイトーの声と顔に、疲れが解けていくのを感じる。
「パズ、風呂と食事は?」
「シャワーも食事も済ませてきた。どうせ食べるものなんかねぇだろ、ここには」
「そうでもないけどな。じゃあ酒でも飲むか?」
「ああ、頼む」
 パズは上着を脱ぎながらベッドルームへ行くと、慣れた手つきでサイトーのクローゼットを開け、中にあったハンガーに丁寧に上着を掛けて仕舞った。クローゼットを閉める瞬間、中からかすかにサイトーの匂いを含んだ空気が圧しだされ、パズは思わず口の端を上げる。
 リビングに戻ると、サイトーがグラスと酒瓶を出したところだった。パズはソファに腰をかけて煙草に火をつけると、ローテーブルに広げてある解体された銃を手際よく組み立てて仕舞うサイトーを見ながら、今日非番だったサイトーの一日に想いを巡らせた。

「……珍しいな。食べ物がある」
 パズは銃と入れ替わりにテーブルに出された皿を見て呟いた。皿の上にはスライスされたチーズとハムが交互に載っている。既に切って売ってあったものを並べただけのようだったが、こういうことには大雑把なサイトーの割には『盛り付けた』と言っていい見た目だ。
 軟らかく薄いハムとチーズを、慣れない手つきで一枚ずつ丁寧に並べるサイトーの姿を思い浮かべ、パズはほほえましい気分になった。
「だから言ったろ。そうでもないって」
 隣に座ったサイトーはちょっと決まりが悪そうに言うと、ウイスキーの蓋を開け、ふたつのグラスに注いだ。
「いつも酒だけ出してたら不満そうだったからな」
 サイトーの言葉に、グラスを持ち上げたパズが片眉を上げて聞き返した。
「おれが?」
「他に誰がいるんだよ」
「……そうか、そんなつもりはなかったが」
 たぶん、サイトーの言う通りなのだろう。意識したことはなかったが、そう言われてみれば、サイトーのセーフに来ると必ずつまみのない酒盛りになることを多少は不満に感じていたかもしれない。
「お前にしては上出来だな」
サイトーの首の後ろに手を回したパズはにやっと笑ってそう言い、
「偉そうに言うな」
と、同じく笑った相手の顔を引き寄せた。
 下唇を優しく吸い、開いた唇の間から舌を滑り込ませると、サイトーもそっと舌を絡めてきた。情事の前の激しいそれではなく、お互いを労わるような、何かを確かめるようなゆっくりしたキス。
 その間パズはサイトーの首の後ろを優しく撫でていたが、やがて名残惜しそうに顔を離した。少し頬が赤いサイトーの顔をからかうように撫でると、
「ま、つまみもあることだしな。続きは後回しにして、酒をもらおう」
と言って改めてグラスを上げ、酒を口に含んだ。

「そういえば、今日の事件はどうなったんだ? 総理に対する脅迫事件っていうから呼び出しがあるかと思ってたが、結局なかったから気になってたんだ」
 皿が空になり、ふたりとも何杯目かのウイスキーを空けたころ、サイトーがふと尋ねてきた。その言葉に、パズは思い出したように「あ」と呟いて立ち上がった。
「お前に見せようと思ってたものがあったんだ」
「何だ?」
 サイトーの問いかけに、パズは肩越しに片手を上げただけでベッドルームへ行き、クローゼットを開けて自分の上着の内ポケットを探った。今日、ここへ来るまではこれを見せることばかり考えていたのに、サイトーの顔を見た途端、すっかり忘れてしまっていた。
「ほら」
 しばらくして戻ってきたパズは、手のひらほどの大きさの四角い紙を一枚、サイトーに手渡した。
 それは、一人の男が写った古いスナップ写真だった。
「今日、容疑者の部屋で見つけた」
 ソファに座りながら言ったパズは、受け取った写真に目を落としたサイトーをじっと見つめる。

 サイトーは、写真を見るなり目を見開いて呟いた。
「これは……」
 パズはその様子を見て、
「……やっぱりこれ、お前なんだな。サイトー」
と言い、ため息をついた。

 色あせた写真の向こうで、軍服を着た若き日のサイトーが、こちらを向いて穏やかに微笑んでいた。

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