追憶 A
写真のサイトーはひどく若く、左目も無事あるべきところに納まっていた。 天気のいい日に、野外に置いたテーブルの前に座って写したようだ。後ろにも小さく軍服の男たちが数名行き来しているのが写っているところをみると、どこかの軍事基地か、駐屯地かと思われた。 まっすぐこちらを見つめるサイトーは今より少し華奢な体つきで、普段パズだけに向ける、穏やかで警戒心の無いリラックスした表情で笑っていた。いや、若さ故か、今よりもっと無防備な笑顔と言っていい。 写真自体は端から黄ばんでいて、上の方に丸い跡があり、その真ん中にぽつりと小さな穴が開いていた。随分長い間、ピンで壁に留めていたのだろう。 パズは黙ってサイトーが口を開くのを待った。 サイトーが写真を見つめたまま、パズに尋ねた。 「これを、どこで見つけたって?」 「今日、総理に脅迫状を送りつけてきたマキタの部屋で見つけた」 ボーマとともにドアを蹴破って入った部屋で、パズは壁一面に貼ってあったたくさんのスナップ写真の中からこの写真を見つけたのだった。 見つけた瞬間パズはハッとし、咄嗟にピンを外して写真を取るとまたピンだけ元通りに刺した。後ろから入ってきたボーマには多分見られなかったはずだ。 何となく嫌な予感がしたということもあるが、何よりこんな事件にサイトーを関わらせたくなかったのだ。 パズには、写真をひと目見ただけでサイトーだと解った。おそらく、部屋の主がサイトーを随分長い間、(どういう感情にしろ)気にしていたことも。壁の写真は部屋の主がそれ以外の人物と一緒に複数で写っているものか風景写真ばかりで、一人で写っているのはサイトーの写真だけだったからである。 パズの言葉に、サイトーは写真から目を上げてちょっと驚いたように言った。 「確かにこの写真を撮ったマキタはおれの昔の知り合いだが……。ほんとにマキタが? マキタが総理を、脅迫?」 「ああ。前に捕まえた爆破テロのグループの一味で、そいつだけ逃れていたらしい。仲間の釈放を要求してきて、ダメなら総理官邸を吹き飛ばすと言ってきた」 「それでマキタは? 捕まったのか?」 尋ねてくるサイトーに、パズはちょっと口をつぐんでから、 「おれたちが踏み込んだ時、マキタは既に死亡していた」 と、サイトーの目を見つめながら言った。 一瞬、サイトーの視線が少し揺らいだが、パズが思ったような反応はなかった。 そこでパズは思い出したように煙草を取り出し、火を点けた。深く吸い込み、ゆっくり煙を吐き出す。 「踏み込む前日に、射殺されたようだ。同居人に殺されたらしいが、その同居人も同じ部屋で自分の頭を撃ち抜いて自殺していた」 「同居人?」 「彼女の夫だそうだ」 「……ちょっと待て、彼女?」 サイトーは眉を寄せて片手を上げた。 「脅迫したマキタってのは、女か?」 「ああ。……言わなかったか?」 「聞いてない」 サイトーは憮然とした表情で答えた。そして、額に右手をあてて小さく呟く。 「……そうだよな、そんな訳ねぇよな」 安堵したようなその声に、パズは片方の眉を上げた。 「なんだ、お前の知り合いってのは男の方か」 「当たり前だ。昔、おれに狙撃を教えてくれた恩人だ。……パズ、おまえ」 言葉を切ったサイトーは、面白そうに口の端を上げた。 「昔、その女とおれが何かあったと思ってたのか?」 サイトーの表情に、パズはむっとして何か言いかけたが、結局何も言わなかった。どうやら図星だったようだ。 「……それからな」 呟いたパズは煙草を咥えなおすと、サイトーの手から写真を取り上げた。裏返して、もう一度サイトーに渡す。 「裏に日付が書いてある」 走り書きの日付。およそ15年前のものだ。その下に『マキタ』という簡単なサイン。 サイトーは頷いて、目を細めた。 「おれが狙撃の基礎を学んだ頃だ。この訓練所で、マキタ教官にはいろいろ教わったな。あの人は写真が趣味で、ヒマさえあればカメラを持ってうろうろしてたから、きっとその時に撮ったやつだろう」 懐かしそうに話すサイトーの表情が次第に穏やかになる。 パズはちょっと眉を上げた。サイトーが昔の話をこんな顔で語るところなど、初めて見る。 パズは、昼間に見た死んだ男の顔を思い出した。年齢はたしか四十代半ばだったと思う。歳相応の厳しい顔には人生最期の悲痛な表情が血糊とともに固まってこびりついていたが、そうでもなければ整ったいい顔立ちだったろう。15年前の現役の軍人時代であれば、若くはつらつとして目をひく男ぶりだったに違いない。 サイトーは懐かしそうな眼差しでまだ写真を見ている。 パズは、家宅捜索でマキタの遺書が見つかり、マキタが昨日初めて妻がテロリストであると知ったこと、その妻が獄中の仲間と不倫関係にあり、妻の射殺とマキタの自殺の原因がそのあたりにあったことなど、サイトーの顔を見ているうちに結局言いそびれてしまった。 ――― 「……んっ、あ……」 サイトーが切れ切れに声を上げる。 汗ばんだ腹が緊張にうねり、パズは快い締め付けを感じて満足気な吐息をついた。 耐え切れない喘ぎを押し殺そうと、サイトーが口元に右手を持ってこようとするが、パズはその手を払ってサイトーへ囁く。 「我慢するなよ、サイトー」 その瞬間、サイトーの左手に力が篭り、パズの右肩が軋んだ。 パズは微かに笑うと、首筋に舌を這わせながらサイトーの内部に押し込んだパズ自身を緩やかに動かした。その律動に低く呻いたサイトーは、払われた右手で枕を掴み、ぎゅっと右目を閉じて首を振る。 それが拒否の意思表示なのか、単に耐え切れない快感をやりすごすためなのか、パズにはわからない。 パズはサイトーの両足を上げさせると、ぐっと体重をかけた。 「うぁっ……!」 不意にサイトーの顎が上がり、開いた唇の間から苦しげな声が漏れた。 「パズ、それは……!」 だめだ、と言い終わらないうちに、もう一度抑えきれない悲鳴が上がる。その瞬間、パズは自分の腹がサイトーから放たれた温かいもので濡れたのを感じ、 「っサイトー……!」 反射的に大きく腰を動かし、自分もサイトーの中へ放った。 「……っ、はっ……」 サイトーは両腕で顔を覆って荒い息をついている。 パズも息を弾ませながら、サイトーから自分のモノを抜こうともせず上からサイトーの腕へ軽く噛み付いた。 「っ、よせ……」 腕の間から小さく抗議の声が上がる。パズは噛み付いたところへ今度は優しくキスを落としながら、 「……なぁ、サイトー」 と躊躇いがちに言った。 「ん?」 「おれと初めて寝たとき、男と寝るのはおれが初めてだって、言ってたよな」 「……あぁ?」 腕が外れ、怪訝な表情のサイトーの顔が現れる。 「なんだよ、急に」 「いや……」 まっすぐ見上げられ、パズは言葉を濁して視線を外した。サイトーはパズの顎を捕まえて自分の方へ向けさせると、もう一度言った。 「なんだよ、急に」 「……何でもない」 「何でもないってことないだろ。どうしてそんなこと」 「何でもねぇよ、ちょっと思い出しただけだ」 パズは決まりが悪そうに言うと、サイトーから自分のモノを引き抜いた。その不意打ちに、 「あッ」 と、サイトーは身体を強張らせて思わず声を漏らした。 例の写真の撮影者に嫉妬した、とはサイトーに言えなかった。 自分よりはるか以前にサイトーに会い、死んでなおサイトーの記憶に残る男。サイトーの中で、おそらく良い思い出として心に残っている男。 パズと初めて寝たとき、はじめてなんだ、と不安気に呟いたサイトーの言葉を疑いたくはない。 疑いたくはないのだが。 ――昔、マキタと、寝たんだろうか。 そんなことを考える自分が嫌になる。だが、言い知れぬ嫉妬と焦燥が湧き上がってくるのを、パズはどうにも抑えられなかった。 |
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