公安9課狂詩曲 A




「なぁーにやってんだ、あのふたり」
 イシカワがカメラ映像にかけられていたロックを強引に解いてみると、そこにはパズとサイトーの2人が映っていた。声までは拾えないが、痴話喧嘩をしているようだ。サイトーに銃まで突きつけられているところを見ると、パズの方に非があるらしい。やがて降参したパズが謝ったところで解決、と思ったら、いきなり濃厚なキスが始まった。
「パズの仕業か。最初っからこの展開に持っていくつもりだったな、あいつ。ったく、こんなことのためにセキュリティをいじるなよ」
 呆れて言って素子を振り返ったイシカワは、ぎょっとして目を剥いた。
「おい……少佐?」
「あの馬鹿が……仕事中に自閉モードにしてまで何をやってるんだ」
 眉を寄せた素子の背後から、黒いオーラが立ち上っている。
(あぁあパズの奴、少佐を怒らせやがって。……知らねーぞ、おれはぁ)
 イシカワは顎髭をぐしゃりと摘みながら、いやーな予感がして身を震わせた。

―――

 しばらくして、ご機嫌な顔で戻ってきたパズは、仕事を再開しようと自分のデスクに座った。
 ここのところ、サイトーや女たちと遊ぶ時間を捻出するため差し障りのない程度に書類仕事を後回しにしていたのだが、急な荒事の任務が入ったりして処理ができないでいるうちに、積もり積もっていつの間にか差し障りのある量になってしまっていたのだ。
(何やってんだかな、おれも)
 一応反省し、山になっている書類から一番上の紙を手に取った。このご時勢だというのに紙や朱色の印影に対する信仰心は薄れていないらしく、改ざんされやすい印象のデータより二次元の紙での提出を求められる書類が未だに多い。
 パズは手に取った書類にさっと目を通すが、銃火器の使用許可申請など今更だな、と思い、脇へのける。
 次の書類を手に取り、目を走らせる。銃弾の使途報告書。何に何発使ったかなんて覚えてねぇよ、と思い、それも脇へのける。警察では銃撃戦になったらその後現場でひとつずつ空薬莢を拾わされ、支給された銃弾の数と合わなければ始末書を書かされるというが、本当だろうか。
 次は裁判所への逮捕状の請求書。……おや、これはいつのだったか。なんでこんな書式をもらったんだったかな。まあ、使わなかったということだろう。これも脇へ。
(……)
 ふとパズは手を止めた。
(もしかして、これ全部、今から処理しても意味がないものばっかりか?)
 書類の山を見つめ、しばし考え込む。

「あら、随分溜め込んだわね」
 突然、後ろから声がして、パズはぎょっとして顔を上げた。
 ぞくりと殺気を感じ、咄嗟に立ち上がろうとする。
 が、その瞬間、目の前が真っ白になり。
 不覚にも首の後ろに何か挿し込まれたのだと察した直後、意識もろとも闇へ堕ちた。

「さぁて、どうしてくれようかしらね。この馬鹿を」
 素子は電脳錠を挿され昏倒したパズを前に、黒い微笑を浮かべて呟いた。


―――

 水の底から浮かび上がるように急激に意識が浮上した。
 パズは瞼の裏に白い明かりを感じてうっすら目を開けた。
(……ロッカールーム……?)
 目に映る景色は見慣れたもので、パズは何度か目を瞬いた。自分はどうやらロッカールームのベンチに座っているらしい。
 向こうのシャワー室から水音が聞こえてくる。誰かがシャワーを使っているのだ。
(何でこんな……。そうか、首に何か挿されて……その前に、そうだ。少佐の声がして)
 はっと思い当たり、意識のはっきりしたパズは身動きをしようとして――驚いた。
(動けない)
『でしょ。ちょっと身体借りてるわよ』
 指一本動かせない自分に驚いた瞬間、聞きなれた声が頭に響き、パズはその意味を理解すると今度は驚愕した。
(し、少佐?!)
『男にうつつをぬかして仕事をサボる輩には一度、きっちりお仕置きしないとね』
 楽しそうな素子の声に、パズはぞくりと寒気をおぼえる。
(お仕置き、って……おれのゴースト侵入錠使って何やってるんですか?!)
『とっても楽しいこと。うふふ』
 一瞬、楽しそうに閃く紅い瞳が脳裏を過ぎり、果てしなく嫌な予感がした。
 その時、シャワー室からの水音が途絶え、誰かがこちらへ向かってくる気配がした。

「あれ、パズ。こんなとこで何やってんだよ」
 にこやかな声。
 腰にタオル一枚という無防備な姿でロッカルームにやってきた人物を見て、パズは自分の嫌な予感が当たってないことを切に願った。

―――

 トグサは熱いシャワーを浴び、ほっと息をついた。
 今日は確かに荒っぽい任務ではあったが、バトーと組むと、いつも必要以上にホコリだらけになる気がする。
(……まあ、爆発から庇ってくれたのはたしかに旦那だけどさ)
 腕の軽い火傷にお湯が沁みて、トグサはちょっと口を尖らせた。
(たまにはおれが庇ってみたいよ)
 あの広い背中を、おれが守ってやるんだ。
 いつもそう決意して任務に臨むのだが、いつまで経ってもバトーのフォローに助けられてしまう。
 いつだったか、トグサがそう零すとバトーは、『馬鹿だね、生身のくせに』とその大きな手でぐしゃぐしゃとトグサの髪をかき混ぜて笑った。
(……)
 バトーの手。ごつごつしているのに、あったかくて、いつもトグサを包み込む大きな手。頭を撫でた手が首に下りてきて肩甲骨を撫でる、あの感触。
 トグサはシャワーの下で頬に血が昇るのがわかって焦った。
(な、何考えてんだこんなとこで)
 ぶるぶると頭を振って水を散らす。
 早く戻って報告書を書かなければ。

 腰にタオルを巻いただけの格好でシャワー室を出たトグサは、ロッカールームに戻るとそこにいた人物に気が付いて声をかけた。
「あれ、パズ。こんなとこで何やってんだよ」
 すると、パズはぎこちない動作で立ち上がり、ゆっくりとこちらを振り向いた。

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