パズのろくでもない一日 〜昼編〜
何がきっかけだったかよく憶えていないが、サイトーと喧嘩をした。 プライベートでの付き合いが始まってからおそらく初めてのことだろう。言い争いは関係ないことにまで飛び火し、結局収拾がつかないままその日は早々とサイトーのセーフハウスを出た。 無性にいらいらして、適当に入ったバーで拾った女とその夜は過ごした。 思えば、パズが女と寝たのもサイトーとの付き合いが始まって以来、初めてのことだった。 その女はパズの好みではなかったが、いい気分転換にはなった。 次の日、9課でサイトーと顔を合わせた頃には喧嘩をしたこともどうでもよくなっていて、共有室のソファを丁度立ち上がったサイトーに普通に声をかけ、サイトーからもいつも通りの挨拶が返ってきた。彼も何らかの方法でうまく気分転換できたのだろう。 そのままダイブルームに入り、イシカワに今取り掛かっている案件のデータをもらおうと声をかけた。 「よう。例のやつだな」 どうやら昨日からダイブルームに詰めていたらしいイシカワは、眠そうに大口を開けて欠伸をしながらスキャナを頭から外すと、パズにメモリを寄越した。 メモリの内容を簡単に説明していたイシカワが、ふと鼻をひくひくさせてパズを見上げる。 「なんだ、昨日は女と一緒だったのか」 「……ああ」 パズの体から漂う香水の匂いに気づいたらしい。自分ではすっかり鼻が慣れ、気づかなかった。 パズが自分の袖口に鼻を寄せると、確かにキツい匂いが残っている。 「趣味の悪い女だな。きっと独占欲が強くて男にマーキングするタイプだぞ」 顔を顰めて言ったイシカワは、 「どうでもいいが女の匂いをぷんぷんさせてこんな狭い部屋に来るんじゃねーよ。さっさとここから出ろ色男。あとの詳しい説明はボーマに聞け」 と手を振ってパズをダイブルームから追い出した。 いったんロッカールームで着替えた方がいいか。 パズは共有室を通り抜けながら時間を確認した。 そういえば夕べ、事の前にはシャワーを浴びたが、終わってからすぐ寝入ってしまい気がついたら出勤時間だったので今朝はそのまま来てしまった。 パズは記憶を辿る。 (そういえば寝てた女も起こさずそのまま置いてきたな。……まあ支払いは先に済ませてあるから問題ないか) スケコマシのパズはあくまでもろくでなし思考である。 廊下ですれ違ったアズマに、「わお。すげえ女のイイ匂い」と目を丸くして言われ、アズマと並んで歩いていたヤノにも「うらやましいなぁ」とにやにやされ、 (シャワーもついでに浴びた方がいいか?) と、足を速めた。 パズの前方のドアが開き、ニンジャ服に着替えたサイトーがロッカールームから出てきた。 そういえば、今日は朝から新しい超長距離狙撃用のライフルで試射をするとか言っていたっけ。 「ああパズ、そういえば今日のデータを」 すれ違いながら思い出したように言いかけたサイトーは、パズの横に来た瞬間、あとの言葉を飲み込んで表情を凍りつかせた。 サイトーは、 「お前……」 と呟いたきり絶句して、信じられないものを見るような目でパズを見上げる。 その顔にぎくりとして、パズの心臓が跳ね上がった。 サイトーは、ゆっくり息を吐き出すと目を逸らして、 「……今日のデータをイシカワからもらったらすぐ来てくれって、ボーマが言ってたぞ」 と、油の切れた機械のようにぎこちなく言葉を続けた。 「ボーマはどこに」 「課長のところだ」 早口で答えると、サイトーはそのままエレベーターの方へ歩み去った。 サイトーがあんな表情をするとは。 その日ずっと、パズは今朝のサイトーの顔が頭から離れなかった。 (あいつは何を言いたかったんだ?) パズはいつもの倍の早さでタバコを消費しながら考え込んでいた。 張り込み中の狭い車内である。相棒のボーマがあまりの煙たさにぶつぶつ文句を言っているが、パズは右から左へ聞き流している。 そういうボーマの方も、さっきから肉の匂いをぷんぷんさせながらコンビニで買った揚げたての唐揚げをつまんでいるのだ。 パズが湯気を立てている唐揚げをにらみ付けてやると、慌てて唐揚げを手で庇いながらボーマが口を尖らせた。 「頼むからさぁ、張り込み中なんだから集中しろよな」 「お前が言うな」 とはいえそんなボーマから意識はすぐ離れていき、パズはまたサイトーのことを考え始める。 サイトーとこういうことになってからは他の人間に興味が湧かなかったためたまたまサイトー相手だけの生活が続いていたが、これまで自由気ままな性生活があまりに長かったため、決まった相手がいる時は他のやつに手を出してはならないという一般常識をすっかり忘れていた。 昨日も特に悪気があって女に手を出した訳ではない。ただの気分転換のつもりだったのだ。 だが、あいつはおれが貞操なんていう観念を持ち合わせていると、本気で思っていたのだろうか? 確かにパズ自身サイトーとの行為の最中、その目に吸い込まれそうになりながら、熱い吐息に溺れそうになりながら、激しい独占欲に襲われることはしばしばだった。 こいつをおれ以外の奴に触らせるものか、というその感情は、しかし普段の生活の中でまでサイトーに押し付けるつもりはなかったし、自分に押し付けられるつもりもなかった。 だが今朝、 (お前……) とサイトーが呟いたとき、何かの激しい感情がサイトーから放たれ、一直線にパズの胸を貫いた。 その瞬間、パズは夕べ見知らぬ女を抱いたことを強烈に後悔していたことは確かだった。 パズは唸り声を上げてタバコを灰皿に押し付けた。ボーマが驚いたようにこちらを見ているが、気にしている余裕はない。 大体、こんなことで悩むのは生まれて初めてだった。 今日は何度呼びかけても電通に応えないサイトーを、遠く感じた。 今日は空も、ひどく曇っている。 |
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