狙撃手、危機一髪  ②バト素


 素子は腹を立てていた。

 先日、新浜港の倉庫に立てこもったテロリストを制圧するため、所轄の特装隊と組んで仕事を
したのだが、現場の指揮権を持っていた若い特装隊長の判断ミスでサイトーが左腕を吹き飛ばさ
れるという重傷を負った。幸いサイトーの左腕は義体だし、生身部分の怪我もしばらく入院すれ
ば完治するとのことだったが、それでも素子は猛烈に腹が立った。

 テロリストの15人という人数と、人質5人とともに彼らが立て篭もっている倉庫の内部の様
子がほとんどわからないという制限された状況を考えると、確かに特装隊との連携をとって一気
に片をつけるしか方策がないのは素子にも解っていた。しかし、サイトーの狙撃ポイントがテロ
リストの一人に知られ(そのポイントを決めたのも隊長だ)、しかもそいつが高性能で口径の大
きなライフルを所持していることが判明した時点で、一気に突入なり狙撃させるなりする判断を
下すべきだったのだ。しかしあろうことか隊長は彼だけが把握していたサイトーからの情報を素
子に伝達することすらしなかったのだ。

 9課の単独の作戦であれば、サイトーもたとえ素子の指示が仰げない状況でも、他の課員の動
きを予測し、最善の判断をして事なきを得ただろう。しかし、今回は独断の行動は厳禁と釘を刺
されていたし、特装隊がどの辺りまでテロリストに接近しているかよくわからない以上、人質を
とっているテロリストの一人を撃って刺激することでどんな状況になるか、サイトーも見当をつ
けかねたようだ。

 あの時、銃声とパズの電通の怒鳴り声でサイトーが撃たれたことを悟った。

 その瞬間、素子は課長から下されていた忌々しいしがらみをかなぐり捨てた。
『馬鹿野郎! 私の大事な部下を殺す気か!』
 特装隊長に電通で叩きつけるように怒鳴った素子は、現場に居た全員の電通の回線を掌握し、
隊長の頭を飛び越えて素子が猛然と現場状況の情報を掻き集め、采配を奮い、テロリストをたち
まち制圧してしまったのだった。

 作戦終了後は課長のところへ直接出向いていたので、他のメンバーの動きについては後から聞
いて知った。

 テロリストを制圧後、サイトーの電通が通じなくなっていることに気づいたパズが、サイトー
とコンビを組んでいた新人のヤノにすぐ電通を入れた。しかし、うろたえて要領を得ないヤノの
様子に胸騒ぎがして、パズは慌ててサイトーの元に駆けつけた。
 左肘から先を失いぐったりと壁に凭れたまま動かないサイトーを見て、一瞬パズは最悪の予想
をしたが、有線すると気を失っているだけとわかり安堵し、すぐに素子に正確な報告を入れてき
た。

 その後、新人ヤノの紛らわしいうろたえぶりに無駄に不安を煽られたパズは珍しく本気で怒っ
たらしい。9課に戻るなり、ロッカールームの隅っこにヤノを追い詰め、その横の壁にバン!と
片手を突くと、
「何だあの報告は? 画像くらい送ってくるのが常識だろうが。正確な情報伝達もできずに任務
が遂行できると思ってんのか? いつまでも甘え気分で現場に来やがって。一度訓練所に戻って
出直してくるか?」
と凍りつくような声で詰め寄ったという。おそらくパズの個人的感情も多分に篭められていたの
であろうが、静かに激昂しているパズに淡々と言い募られ、ヤノはたちまち半泣きになり、いく
つか自分も心当たりがあったのか、怒りの余波を浴びたアズマも青ざめて凍りついた。

 その他のメンバーは着替えの手を止めて心配そうに見守っていたが、結局、険悪な空気に耐え
かねたバトーとボーマが間に割って入り、
「こいつも初めての実戦だったんだから仕方ねえよ」
「もうその辺で勘弁してやれ、な?」
と何とかパズをたしなめたのだと、後からイシカワが笑いながら素子に教えてくれた。


―――


「なあ、まだ怒ってんのか」
 バトーが持っていた鉄アレイを下に置いて、座っていたベンチから素子を振り向いた。
 ハンガーでタチコマを相手におしゃべりをしながら筋トレをしていたバトーは、後ろで素子が
じっと腕を組んで壁にもたれているのがさっきから気になって仕方なかったのだ。

「何のこと?」
「こないだの新浜港の、例の。近年稀に見る無能隊長」
「別に。怒ってたのはパズでしょ」
「パズが怒ってたのはヤノにだろ。そういやパズの奴、さっきサイトーの見舞いから帰ってきて
からずっと不機嫌でよ。サイトーは明日には退院できるって言ってたんだが」
 顔を顰めたバトーに、素子は肩をすくめた。
「サイトーと何かあったんでしょ。随分ゆっくりしてきたみたいだし」
 興味なさそうに言う割には、きちんとパズの動向を把握している。怖いやつ、とバトーはこっ
そりため息をついた。

「あの隊長、あれから降格させられたんだろ」
「当然。うちの人間に怪我させたんだから」
「……お前が手を回したのかよ」
「課長に話をつけただけ」
 やっぱり怖いやつ、と再びため息。バトーはベンチから立ち上がると、
「じゃあ、あの隊長じゃなければ、何に怒ってるんだ?」
と素子の隣の壁にもたれながら尋ねた。

 素子は、腕を組んだ姿勢のまま、向こうでタチコマ同士がわいわいとおしゃべりをしているの
をじっと見ている。バトーが辛抱強く待っていると、素子はゆっくり首を巡らせ、やっと隣の男
に視線を移した。
「あんな無能男に腹を立てても仕方ないわ」
「まあな」

「……わたしは自分に腹が立ってる」
 素子は低い声で言うと、目を伏せた。
「あの時、共同作戦の名目なんかに囚われずにさっさと指揮権を奪っておけばよかった。あの馬
鹿の電脳をハックしてでもわたしがサイトーに指示を出せばよかった。あと1秒でも早く指示を
出してればサイトーなら正確に狙撃できたのに」

 素子の言葉に、被弾するぎりぎりまで指示を待ってライフルを構えていただろうサイトーの姿
が思い浮かび、バトーは低く唸った。だからこそサイトーは避けきれなかったのだ。
「わたしが指揮をとってれば状況は違ってた」
「そうは言ってもな、最初はテロリストは人質こそとってるが大した武装をしてないって情報だ
ったから所轄に指揮権を渡してたんだし、あの時、サイトーに指示を出そうにも隊長が情報を握
り込んでたからお前は何も知らなかったんだろ?」
「だからよ。知らなかったのが許せないの」
「あのなあ」
 バトーはがりがりと頭を掻くと、素子を見下ろした。

「確かにお前は有能な上官だし、みんなもお前を信頼してる。だがお前は神でも何でもないんだ
から、何でも知ってる必要はないし、何にでも責任を感じる必要もねえんだぜ」
「何でも知ろうとしてるわけじゃないわ」
 素子は子供のように首を振った。
「最初、特装が現場の状況をきちんと把握しきれてないことにわたしが気づくべきだったのよ。
与えられた情報だけでテロリストをナメてかかったのはわたしの判断ミスだった。間違いだった


 言いながら、素子が右手の親指を口元に持っていく。そのまま爪を噛もうとした素子の手をバ
トーが横から手を伸ばしてそっと押さえると、優しく言った。
「その癖、直せって言ったろ」
「……そういえば随分昔、言われた気もするわね」
 素子はバトーの大きな手のひらに押さえられるままに右手を下ろすと、そのまま所在無くバト
ーの手のひらを弄ぶ。
「あれからは直ったと思ってたんだけど」
と、苦笑してバトーを見上げた。
「全身義体でも、癖は脳が覚えてるからなあ。そういや久しぶりに見たな、その癖も」
「……いろいろ思うと、無意識に爪を噛みたくなるみたい」
「久しぶりに悩んでるってことか」
 揶揄するようにバトーが言うと、不意に素子が、持っていたバトーの手をきゅっと握り込んだ


「……っ、少佐?」
 思わずバトーが声を上げると、
「でも。悩むのはお仕舞い。反省もこれくらいにしておくわ」
 いつの間にかいつもの調子に戻った素子は、壁から背中を離し、
「あなたに愚痴ったらすっきりしたわ。ありがと」
と言うと、素子は肩越しに右手をひらひら振りながら、さっさとハンガーを出て行った。

 後に残されたバトーは素子に握られていた手で頭をがりがりと掻くと、
「おれはもう少し愚痴られてもいいんだぜ、別に」
と閉まるドアに向かって呟いた。

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