狙撃手、危機一髪  @ パズサイ




  その日は所轄の特殊装備隊との共同作戦だったが、今回は少佐以外の人間が指揮官だと聞いてからサイトーは嫌な予感がしていた。お偉方の間でのお定まりの縄張り争いの結果なのか、特装隊の隊長の指揮下での任務を告げる荒巻課長も苦い顔だったが、少佐も渋々といった顔で作戦に就いていた。

 今、サイトーは、ライフルのスコープの向こうで、ビルに立て篭もったテロリストがこちらに気づいたと察し、特装の指揮官へ狙撃許可を求めて指示を待っているところだった。
 ところが、迷っているのかなかなか電通が返って来ない。
(人質の位置をまだ把握できてなかったのか?)
 サイトーは頼りない指揮官に舌打ちする。

 スコープを覗いたままじりじりしながら待っているうちに、嫌な汗が額に浮いてくる。
 撃つなら撃つ、この場所を動くなら動くで早く次の行動に移らなければ危険なのは経験でわかっていたが、他のチームと組んでいる今回の作戦の性質上、サイトーや9課の判断で勝手に動くわけにはいかなかった。

 案の定、上が指示を迷った間隙を突いて相手がこちらへ銃を向けた。

 それでも、今なら、今すぐなら指示が下りればこちらが先に仕留める自信はある。サイトーは、スコープ内の十字線の中心を相手の両目と口を結ぶ三角形の中心へぴたりと定めたまま、ぎりぎりのタイミングまで凍りついたように動かなかった。
 が、やはり指示がないまま数瞬が過ぎ、照準を定めた相手が先に引き金を引いた。

(まずい)
 サイトーは咄嗟に銃から身体を離した。
 後ろに下がろうと身を引いた瞬間、左腕に強い衝撃を受け、気がついたら体ごと後ろに吹き飛ばされていた。

『サイトー!』
 電通越しに誰かに上ずった声で名前を呼ばれたが、被弾のショックで誰の声かすら判別できない。廃ビルの狭い部屋に置いたこの狙撃ポイントが視認できる場所にいたのはパズだけだから、おそらく彼だろう。

 脳内に満ちていたアドレナリンのせいで、一瞬がひどく間延びして感じられ、いろいろな思いが頭を過ぎる。
 この数時間、細心の注意を払って対象にぴったりと焦点をあわせていたライフルがひっくりかえるのが見え、サイトー自身も仰向けに吹き飛ばされながら、
(畜生、今日一日がこれでパアか)
と、まず最初に思った。自分が狙撃の一瞬のためにどんなに入念に準備をしても、上の反応が鈍くその一瞬のタイミングを外せばまるで意味がない。
 左腕の肘から先が吹き飛び、勢いで左に向いた状態のまま左側頭部と左肩を壁に叩きつけられる。痛みを感じる直前に左腕の痛覚を切れたのは幸いだったが、生身の部分はそうはいかなかった。全身に衝撃が走り息ができず、叩きつけられた体勢のままうずくまる。
(あの口径の銃弾を受けて即死じゃないだけマシか)
 苦痛に呻く一方で妙に冷静なコメントが浮かんだ。

「サイトー先輩、大丈夫ですか!」
 コンビを組んでいた新人がこちらに駆け寄ろうとするのを右手で制し、
「まず対象を確認、状況を上に報告しろ!」
 何とか声を絞り出してそれだけ伝える。頭を強く打ったのかサイトー自身の電通がうまく働かないので、この新人に報告させるしかない。気管をこじ開けて呼吸をしようと喘ぎながら、新人に自分の電通が使えないことを身振りで伝えた。今の状況を見ていたはずのパズが先に報告しているとは思うが、ここからしか見えない一角もある。

 さらに指示を出すべきだろうと思ったが、意識が朦朧とし、目の前の視界が急速に狭くなっていく。窓に駆け寄って何とかマニュアル通りに状況報告をしている新人の姿がにじんでぼやけたかと思うと、意識もろともあっという間に闇に落ちた。


―――


 抱いた女の肌のぬくもりが気持ちよくて、サイトーは低く唸った。女の首筋に顔を埋めたまま、女の中に猛ったサイトー自身を沈めていく。女の顎が上がり、紅い唇から喘ぎともため息ともつかない呼気が漏れる。

 任務中の緊張が切れ性欲に変換されると、いてもたってもいられなくなる。この生理現象の理由を説明されたこともあるが、理屈でわかっていても何の解決にもならない。間に合わなければ自分自身で処理するが、こうして相手がいて触れ合った方がはるかに気持ちいいに決まっていた。

 ベッドが軋むほど女を突き上げていると、ふと髪で隠れた女の顔を見たくなった。そういえばこれは誰だったか。いま付き合っている特定の女はいないから、商売女か? 夜の街で声をかけた女だったろうか? ぼんやりしてよく思い出せない。いまサイトーにあるのは頭の痺れるような性欲だけだ。
 だが、誰だったか気になり始めると落ち着かなくなり、サイトーは動きを止め、喘いでいる女の髪をかき上げた。が、顔を覗き込んだ瞬間、ぎょっとして体を離した。

 潤んだ瞳でこちらを見上げていたのは、今回の任務でコンビを組んでいたはずの新人のヤノだった。
 ヤノは物憂げに片手を上げると、サイトーの頬に触れて、
「先輩……」
と、熱っぽい声で呟き、大きな目を細めてにっこり微笑んだ。サイトーはそのあどけない顔を見つめ、思わず息を呑んだ。


―――


「……先輩、先輩?」
 小声で誰かに呼ばれ、そっと揺さぶれてサイトーは目を開けた。

 まず白い天井が目に入り、人の気配がするほうに視界のぼやけた目を移すと、いま夢の中で抱いていた新人ヤノの顔があってぎょっとした。
「ここは……痛っ……」
 思わず体を起こそうとすると全身に激痛が走り、ヤノに慌てて制止される。
「まだ起きちゃ駄目ですよ。ていうかまだ動けないですよ」

 どうやらここは病院のようだ。ベッドに寝かされ、右腕には点滴、換装したての左腕の感覚はなし、体中がだるくて頭には鈍い痛み。おまけに行き場のない性欲のせいで無意識とはいえ可愛い新人君を相手に盛っていた、と。
 やっと状況を把握した。

「……大丈夫ですか」
「なにが」
 この状態で大丈夫ですかも何もないもんだと思ったが、ヤノの表情に気づいてサイトーは眉を寄せた。……さっきの夢を覗いてたんじゃねえだろうな?
「すごくうなされてました」
 お前のせいだろ、とも言えず、
「そうか? 悪い夢でもみたかな」
ととりあえずとぼけておく。

 心配そうな表情のまま、ヤノは本題に入った。
「昨日の今日で先輩もまだキツイと思うんですけど、先輩まだ自閉モードになってたし、少佐から状況を先輩に報告しておけと言われたので見舞いがてら来てみたんですが……。でもまだやめておいた方がいいですか」
「大丈夫だ。報告してくれ」
 じゃあ、と背筋を伸ばし、その後の経緯を報告するヤノのふっくらとしてあどけなさを残した顔を見ながら、改めてサイトーは思った。
(いくら可愛くても、やっぱり男はちょっとな……)


―――


「何だよ、お前男もいけるくちだったのか」
 サイトーが負傷してから数日後。病室だというのに、個室なのをいいことにタバコの煙をもくもくと吐き出しているパズを、サイトーは横目で睨みつけた。
「……話聞いてたか? パズ」

 9課の人間の中でも、パズとはよく話をする方である。勤務中、見舞いに来たと称して明らかにサボりにきたパズを相手に、まだ退院の許可が下りず退屈をもてあましていたサイトーはとりとめのないおしゃべりの末、例の夢の話をうっかり口にしてしまった。

「おれは男には興味ねぇ」
「でも夢であのマヌケ新人相手に盛ってたんだろ? どんだけ飢えてんだ。任務の後にムラムラするのは分かるが」
「そりゃあ、どんな時でもお前は相手に困らねぇだろうけどよ。おれは即入院だったからな」
 パズなら病院でも看護婦をベッドに引き摺り込みそうだと思いながら、サイトーは肩をすくめた。
「それに、おれだって入院さえしてなけりゃ……」
 別に相手には困らない、と言おうとしたが、こっちの方面でパズには到底対抗できないと気づき、途中で口ごもる。それに気づいてパズはタバコを咥えたまま口の端を上げて皮肉な笑みを浮かべた。
 サイトーは顔をしかめて舌打ちする。

「うるせえよ」
「何も言ってない」
「顔がいろいろ言ってるんだよ」
「だから何も言ってないって」
「相手がいなくて悪かったな」
「やっぱいないのか」
「いなくはねえよ」
「自分でいないって言ったんだ」
「……」
「墓穴掘ったなサイトー」
「もう帰れよ、パズ」

 短い応酬のあと、ふくれて顔を背けたサイトーの首筋をじっと見ていたパズは、
「なあ、実際、溜まってるんだろ?」
と、唐突に聞いてきた。そばに置いた携帯灰皿に、吸っていたタバコをぐりぐり擦り付けている。
「あぁ?」
 一瞬何のことか理解できず、サイトーは眉を寄せた。
「協力してやろうか?」
 パズはにやりと笑うとサイトーの下半身を指差し、腕まくりをして右手をワキワキと開いたり閉じたりしてみせた。

「はぁ?!」
 サイトーは一瞬目を剥いたが、パズの悪戯っぽい笑みを見て大きくため息をついた。
「こっちはお前の悪質な冗談に付き合うほど元気じゃねぇんだよ。馬鹿なこと言ってないでさっさと仕事に戻れ」
「何だよ。同僚の好意を無下にするのか?」
「疲れた。少し寝かせてくれ」
 本格的にこちらに背中を向けて布団を被ってしまったサイトーを見て、パズはクックッと笑いながらポケットを探ると、
「冗談だよ。こっちが本命」
とサイトーの目の前に小さなディスクを差し出した。

「何だ、これ」
 サイトーが指先だけ出して受け取り、パズに顔を向けて尋ねる。
「おれの秘蔵の電脳用AV。直に繋げるから夜にでもこっそり使えよ」
 とっておきのものを見せる子供のように小声で囁いたパズは、サイトーの肩を労わるようにぽんぽんと叩いた。

(はぁ?!)
 そのまま得意げに去って行こうとする同僚の背中が無性に憎たらしくなり、サイトーはがばっと起き上がった。
「馬鹿野郎! いるかこんなもん! 持って帰れ!」
 怒鳴りつけると、パズの背中に向けてディスクを投げつけた。


―――


 サイトーは暗闇の中、ひとり立ち竦んでいた。
 いつもの夢か。自覚してため息をつく。

 神経を直にぞろりと撫で上げられるような不快感とうすら寒い気分の悪さ。
 義体と生身の継ぎ目がちりちり痛む。

 もう悪夢にも慣れてしまった。
 強烈な孤独感もいつものことだ。
 身を縮め、顔を伏せていればいつか過ぎ去る不快な夢。
 座り込んで体を丸める。
 だが、今日はどこか違う。

 何かの香りがふわりと鼻をくすぐった。
 嗅ぎ慣れた香り。どこか安心する香り。
 サイトーは膝に埋めていた顔を上げた。

 と同時に、唇に何か温かいものが触れる。
 何か言う声が遠くから聞こえてくる。
 聞きなれた誰かの声。

 急速に辺りが明るくなる。
 気がつくとサイトーは、心地のよい草原に横たわっていた。
 さわさわと草を揺らしながら渡っていく風の音。
 唇には相変わらず温もりが触れていて。

 誰かにキスをされている感触なのだとやっと気がついた。
 なのに顔の上には何もなく、抜けるような青空が視界いっぱいに広がっている。
 ああ、なんて気持ちのいい。

 サイトーは唇の温もりと遠くからの声に、心の底から安堵した。
 これに包まれている限り、もう不安など感じる必要はないのだ。


―――


 薄く目を開くと、ごく近くにパズの顔があった。
 もう唇は離れている。
 ……唇?
 サイトーは眉をしかめると、呟いた。
「パズ?」

 何をしてる? 何をしてた? 本当にキスをしていたのか? 夢の中だけでなく?
 尋ねたいことは沢山あったが、名前を呼ぶことで疑問を凝縮し、あとは目で尋ねた。

「……いや、その、うなされてたから」
 サイトーが目を覚ましたことが予想外だったのか、ちょっときまりが悪そうな顔をしたパズは、それだけ言うと口をつぐんでサイトーの顔を見下ろした。
 右手をサイトーの顔の横につき、左手はポケットに突っ込んだままで、まるで通りすがりにふと思いついて顔を覗きこんだような体勢である。

 窓から風が吹き込み、病室の薄いカーテンがふわりと揺れた。
 嗅ぎ慣れたパズの香水の香りに鼻をくすぐられ、サイトーは思わず唇を噛んだ。
 この香りがいい匂いだと思ったことなど一度もないのに。何故あんなに安心したのだろう?

「大丈夫か」
 顔にやわらかく息がかかり、夢で聞こえた、耳に馴染んだ声が尋ねてくる。
「……いいかげん離れろ」
 顔に血が昇るのを感じて、サイトーはぶっきらぼうに言った。

 うなされていた? 思わずパズがキスせずにいられないほど? どんな顔でうなされてたんだ、おれは。
「朝寝の女を起こすみたいな体勢しやがって。このスケコマシが」
 耳まで赤く染まるのがわかった。羞恥のあまり悪態が口をついて出てくる。
「おれは男だぞ。何考えてやがる」
 パズがやっと身体を離し、サイトーは起き上がって舌打ちをすると口を服の袖で擦った。

 両手をポケットに突っ込んだ格好のパズは、所在無くベッドサイドに突っ立っている。パズはパズで、きまりの悪い思いを喉の奥に飲み込んだまま、次に何を言うべきか迷っているようだ。
 やがて、言うべき言葉を思いついたのかパズが口を開いた。
「さっき医者に会った。明日、退院できるそうだ。よかったな」

 その声はいつも通りで、サイトーは顔を上げてパズの顔を見つめた。
 パズもサイトーの顔を見つめている。

 二人の同僚は押し黙ったまま、病院の一室でしばらく見つめあった。

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