追憶のカメラマン F
「これは引き分けだな」 小さなテーブルに並べた二枚の写真を見比べ、サイトーが腕を組んで満足げに言うと、 「そうですかぁ?」 と、マキノが不満そうに反駁した。 「サイトーさんのも確かに意外にちゃんと撮れてましたけど」 「意外かよ」 「でも構図とか光線の具合とか……とにかくサイトーさんのはぼくの顔を撮っただけじゃないですか。ただのスナップ写真ですよ」 その日の夜、サイトーのテントに約束通り印刷した二枚の写真を持ってきたマキノは、何事もなかったような顔でテントに入ってきた。 サイトーの真似をして腕を組んだマキノは、不満げに鼻を鳴らす。 「ぼくのは商品であり、一種の作品ですよ」 「おれのは別に、雑誌に載せるわけでも額に入れて飾るわけでもねぇんだから、スナップ写真でいいんだよ。よく撮れてるじゃねぇか、これ。大事にしろよ」 サイトーはふと思いついてペンをポケットから出すと、マキノの写った写真を裏返して走り書きを始めた。マキノがサイトーの手元を覗き込む。 「何ですか?」 「今日の記念。おれの腕前を忘れるなよ」 マキノは驚いたように差し出された写真をおずおずと受け取ると、突然くしゃりと顔を歪めた。 「……サイトーさん……」 「おい、何だよ」 サイトーが、急に涙を浮かべたマキノの反応に驚いていると、 「べ、別に」 マキノは慌てて袖でぐりぐりと目を擦ると、自分もサイトーの写った写真を手にとって裏返した。さらさらとペンを走らせてから、サイトーに写真を差し出す。 「はいこれ。ぼくの腕前も、忘れないで下さいよ」 「お前はプロだろうが」 「ぼくが有名になったら、価値が出るかもしれませんよ。この写真」 口の減らないカメラマンに、サイトーはにやっと笑ってみせる。 「ま、せいぜいおれの生きてるうちに有名になれよ。下手すりゃお前が国に帰るまでに死んでるかもしれねぇけどな」 「……そんなこと言わないで下さいよ」 「そうか? お前もそれを考えてさっき泣きそうになったんだろ?」 ペンを仕舞いながら穏やかな口調で言うサイトーに、マキノは言葉に詰まって黙り込んだ。 「ここじゃ涙なんか引っ込めておけよ。そういう感傷は仕事の邪魔になるだけだぞ」 「ぼくは兵士じゃありませんから」 憮然としたマキノはサイトーに言い返す。 「サイトーさんがもし目の前で撃たれて死んだら、すがりついて号泣してやりますよ」 「迷惑な話だ」 サイトーはその情景を想像すると、言葉に反して思わず笑みがこぼれた。 「ありえねぇ」 「しかも、わんわん泣いた上で、しっかり写真を撮ってあげます」 「おれの死体の?」 「そう。で、帰国して『海外派兵の真実』とかってアオリをつけて雑誌の表紙に載せて、原稿料を稼ぐんです」 「ちゃっかりしてやがる」 「でもそれがきっかけに、日本で自衛軍の海外派兵反対の動きが出てくるかも」 「そりゃありえないだろ。おれは自衛軍として派兵されてるわけじゃねぇし、日本人として戦ってるわけでもない。外国の傭兵の死体にそんなアオリつけて載せたら出版社に抗議が来るぞ」 苦笑しているサイトーをじっと見ていたマキノは、ふと目を伏せて言った。 「でも、こんな風に傭兵生活を続けてたら、日本の自衛軍とやりあうこともあるんですよね」 「さあな。場合によってはそういうこともあるかもな」 「同じ国の人間に殺される可能性もある?」 「それを言うなら、同じ国の人間を殺す可能性もある、だ」 サイトーは、首を振って訂正した。 「そんな簡単に殺されるかよ」 「どっちにしてもぼくはそんなの、耐えられないな」 「お前は耐えなくていい。カメラマンだからな。おれが誰を殺そうが誰に殺されようが気に病むことはねぇよ」 「……そうじゃなくて……」 言いよどんだマキノは、手に持った写真を見つめて、唇を噛んだ。 「もし、サイトーさんが日本の自衛軍に殺されるようなことがあれば……」 「おい、縁起でもない」 「ぼくは、総理大臣を殺してでも、海外派兵をやめさせる」 「おいおい、物騒なこと言うなよ」 冗談キツいぞ、と笑おうとしたサイトーは、マキノが涙を浮かべているのに気づき、途中で言葉を飲み込んだ。 「サイトーさんにとってぼくは、ただの通りすがりのカメラマンでしょうけど」 瞬きと共に涙がぽろり、と零れる。 「ぼくにとっては、サイトーさんはひとりの生きた人間ですから。ここで出会った、大事な人だから。サイトーさんのようには割り切れない」 「……」 サイトーが黙っていると、やがてマキノはごしごしと袖で目を擦って、いつもの表情に戻った。 「写真、大事にします」 にこっと笑って写真を振ると、くるりと踵を返してテントを出ようとして、出口で足を止めた。 「……どうか、死なないでください」 向こうをむいたまま、静かな声で言い、そのままじっと佇んでいる。 サイトーは、マキノの背中に何か言うべきなのか、それとも引き止めるべきなのか、迷った。 殺伐とした戦場で生きてきて、こんなことは初めてだった。マキノが自分に向ける感情が何なのかすら、量りかねている自分がもどかしかった。 だが、迷っている間に、マキノが先に口を開いた。 「さよなら」 「……ああ」 テントを出て行くマキノの背中へやっとそれだけ言うと、サイトーはふっと息をついて力を抜いた。いつの間にか、全身が緊張して強張っていたのだった。 |
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