雨音は甘い余韻の調べ



 雨が降っている。

 薄いカーテンを通して、開けた窓の向こうからざあざあと雨音が聞こえる。
 時折、湿った冷たい風が寝室に吹き込んできて、窓を閉めなくては、と薄く右目を開けたサイトーはふと焦燥にかられた。
 だが、眠気に負け、また目を閉じる。しかし、すぐには眠りの世界には戻れなかった。中途半端に覚醒したこの状態のとき、全身義体になって感覚器官をすべて切ったらこんな感じだろうか、といつも思う。
 冷たい風が、また頬を撫でるのを感じた。起きなければ、と思うが眠気で痺れたようになった身体は指一本動かせない。
 半分堕ちた夢の中で、立ち上がって窓に歩み寄り、窓を閉める。が、気がつくと自分はやっぱり横になったままで、窓からは相変わらず冷たい風が入ってきているのだった。
 瞼も上げられないので、耳だけが妙に敏感に周囲の音を拾ったが、半分以上は眠気が作り出した幻聴であることは自覚していた。

 隣で、さわ、とシーツの擦れる音が聞こえた。
(これも幻聴か?)
 サイトーはぼんやり考える。
 いま、この部屋に自分以外の人間がいたか? というか、ここはどこだったろう?
 また、シーツの擦れる音が聞こえ、今度ははっきりと右隣に人の気配を感じた。

 ああ、そうだ。今日は一人じゃないんだった。
 隣には、パズが寝ているのだった。

 パズ、と思うと心臓が大きく脈打った。
 数時間前までの嵐のようなひとときが脳裏に甦り、サイトーは急速に身体が覚醒するのを感じた。




 サイトーの規則正しい寝息がふと途切れ、パズは薄く目を開いた。暗い天井に細い光が差し込んでいるが、カーテンが揺れるたびにゆらゆらとゆらめいた。雨が降っているし、まだ夜中の3時頃だから、太陽光ではない。近くの建物の光だろうか。

 今夜、やっとサイトーを手に入れることができた。
 自分の右肩の、サイトーが義体の方の手で爪を立てた場所が少し疼き、目を閉じてその感覚を味わう。
 ……いや、手に入れたとはまだ言えないか。
 再び目を開き、パズは思い直した。
 仕事の後に食事に誘い、その後自分のセーフハウスに連れてきて、酒を飲みながら雰囲気を見計らって事に及ぶ、と正規の手順を踏んで抱くことができたというだけのことだ。

 サイトーをまともに抱いたのはこれが初めてだった。
 ずっと機会を狙っていたのだが、いつも途中ではぐらかされた。今回はタイミングが良かっただけなのか、それともこれからの付き合いを期待してもいい関係になったということなのか。
 だがパズは、サイトーを攻略するには時間が掛かることを覚悟していたから、これでも思いのほか上手くいっていると内心喜んでいる。

 同じ女と二度寝ない、とは、パズは少佐以外の9課の人間には言った覚えがないのに、9課の中ですっかりパズ語録として定着してしまった。ただ、同じ女と何度も寝るとすぐ飽きてしまうのは自覚していたから、否定もせずそのままにしている。
 パズは天井で揺れる光の筋を見つめながら、隣に寝ている同僚のことを考えた。
 同僚で、腕のいい狙撃手。いつも胸の前をさらけ出すような着こなしをして、(誘ってんのかよ)と見るたびに思っていた。普段は無口だが、口を開けば辛辣な言葉を平然と吐く。無表情なのかと思えば、トグサなどと喋っているときは気がつけば笑っていることもある。こちらからは何を考えているのかわからないのに、こちらの思っていることなどすべて見透かしているような右目。不思議な魅力のある男。
 それでも、サイトーとも、あと何度か寝たら飽きてしまうのだろうか。他の女たちと同じように。

 いや、サイトーは違う。

 パズは不意に突き上げるような衝動を感じて、サイトーの方に寝返りを打った。まだ寝ているサイトーの顔を、半身を起こして見下ろす。
 心の凪いだ、静かな顔。数時間前まで、パズの腕の中で苦痛と快感のうねりに翻弄されて声を殺して喘いでいた唇は、今は穏やかに閉じられている。
 押し倒して服を脱がせようとした時、サイトーが一瞬身を強張らせ、不安げに呟いた言葉を思い出す。
 初めてなんだ、と。
 もちろん、男同士では、という意味だ。
 そうだろうとは思っていたが、やはり自分が初めての相手だと本人の口から確認すると、ひどく興奮した。服のボタンを外すのももどかしく、途中から毟り取って脱がせた。

「なんだ」
 急に唇が動いて、サイトーが右目を開けた。
「……起きてたのか」
「ああ」
「身体、大丈夫か?」
「……あちこちが少し、痛む」
「ちょっと乱暴だったか。悪い。抑えがきかなくてな」
「……」
 サイトーは何か言いかけたが、ためらってから口をつぐんだ。まだ照れがあるようだ。夜目のきくパズには少し赤くなった顔がはっきり見える。
 パズはふっと笑うと、照れているサイトーをしげしげと眺めた。
「痛くて、眠れないか?」
「いや」
 言いながら、サイトーはパズの視線から逃れて窓の方に目をやった。
「少し寒くてな。窓を閉めようと思いながら、うとうとしてた」
「そういえば開けたままだったな。寒いか」
「ちょっとな」
「なら、こっちにこいよ」
 言いながら、パズは自分の義体の体温を上げ、サイトーを抱き寄せようとする。が、
「よせよ、女じゃねえんだ」
とあっさり突き放され、サイトーはたちまちベッドから下りてしまった。
 ぴしゃり、と窓を閉め、下着一枚を身に着けただけのサイトーは、ひたひたと足音をさせながら寝室を出ていってしまう。おそらくシャワーを浴びるつもりなのだろう。

「……少しは甘えろよ」
 取り残されたパズはそう呟くとまた横になり、サイドボードのタバコを右手で探る。
 タバコに火をつけ、深く吸い込んだ。
 閉ざされた窓の向こうで、遠ざかった雨音が静かに続いていた。

                                                  


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