不真面目な張り込み
『対象が動いた。そちらに向かっている』 パズから電通が入り、トグサは一気に現実に引き戻された。 『了解』 トグサが痺れた意識で慌てて理性を手繰り寄せている間に、バトーが素早く応答した。 『対象は車か?』 『そうだ。黒のセダン。ナンバーは○○。そちらにはおそらく15分ほどで着く』 今度はボーマの声。そこでちょっと間が空いて、 『その間に服を着ておけよ、トグサ』 と、パズのからかうような声が続いて、トグサはかっと顔を赤らめた。 バトーとふたり、張り込み中の車の中。 人通りがすくなく、日も暮れて薄暗くなってきたのをいいことに、運転席から身を乗り出してきたバトーと、トグサはまさに熱烈濃厚なキスの真っ最中だった。 『何言ってんだよ』 バトーの不機嫌な応答に、電通の向こうでパズとボーマがかすかに笑う気配がしてから通信が切れた。 (ぬ、脱いでねーし……まだ) トグサは倒したシートを戻し、乱れた服を整えながら、心の中で言い返す。 別にパズは見ていたわけではないだろうが、スケコマシの勘だろうか。時々わざとではないかと思うようなタイミングで電通を入れてくる。ボーマと二人でどんな状況を想像されていたのかと思うと、トグサは穴があったら入りたい気分になった。 「よだれ」 横からにゅっと手が伸びてきて、顎を掴まれ太い指が唇の雫を拭った。さっきの熱が身体の芯に残っているトグサは、バトーのぶっきらぼうな仕草にまた顔に血が昇ってくるのを感じた。慌てて顔を背けてバトーの手から逃れると、自分の服の袖でごしごしと口元を擦る。 「……お前ね」 ハンドルに手を置き、その上に顎を乗せたバトーが、フロントガラスに映ったトグサを見ながら呆れたように言った。 「そういう態度だから、パズにからかわれるんだぜ」 「そういうって、どういう態度だよ?」 バトーの言葉に、トグサはガラスの中の自分を眉を寄せて観察する。バトーは、そんなトグサを見て鼻を鳴らして笑った。 「すぐ顔が赤くなる。焦って墓穴を掘るようなことを言う。……おれに触れられると、誰の前にいても動揺する」 どれも図星で、トグサは口を開けたまま、言葉に詰まる。 「お前とは『秘められた大人の関係』ってやつのつもりだったんだが、こんなあっさり9課の奴らにばれるとは思ってなかったぜ」 「お、おれのせいかよ」 「他に誰のせいだってんだよ。……まあ、奴らが揃いも揃って勘のいいやつばかりってのもやっかいなんだがな」 バトーはハンドルに乗せていた手を上げてトグサの頭の上に置くと、ぽんぽんと優しく叩いた。 「こうやって勤務中にこっそりお前といちゃつくのは楽しいけどな、お前がそんなじゃあ、少佐にどやされるのも時間の問題だぜ」 頭の後ろで両手を組んでシートに凭れかかったバトーは、トグサと自分の関係を今のところ観察するように黙って見ているだけの女隊長の顔を思い出した。いつか何か言われるだろうと思って待っているが、未だに何も言って来ないのが不気味で仕方がない。 「じゃあ、勤務中にいきなりキスすんのとかやめろよ」 むっと唇を突き出して文句をいうトグサに、 「あれぇ、トグサ君は嫌がってたのかな? 知らなかったなあ」 と、バトーはにったりと笑ってみせる。 「おれはいつだって真面目に仕事したいんだよ! それを旦那が……」 「来たぜ」 トグサが赤くなって言いかけるのを遮って、バトーが一瞬で仕事の顔に戻り、さっと身を起こした。 向こうの角から、張り込んでいた対象の車がこちらへ向かってくるのが見えたのだ。 「続きは勤務明けにな。今夜空けとけよ」 「つ……続きって」 口をぱくぱくさせるトグサに再び相好を崩してニッと笑って見せると、バトーはドアを開けて車を降りた。 「ぼやっとすんなよ。行くぜ」 「あ、ああ」 トグサは表情を引き締めると、頷いて車を降りた。 何はともあれ、今は勤務中だ。今から対象を確保しに向かう。失敗は許されない。 トグサは確保の手順を口の中でぶつぶつと唱えながら、今夜何があるのか想像しそうになる自分を抑え、緩みそうになる口元を噛み締めて、前を行く広い背中を見つめた。 |
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