Bad Day B
二番目の攻勢防壁に電脳を焼かれたハマノは、雷に打たれたように硬直したまま、後ろへ倒れてどさりとベッドから落ちた。 同時にハマノのモノがずるりと体内から出ていき、サイトーは嫌悪に身体を震わせる。 「クソッ……! クスリは……予定外だった……!」 ふらつく頭を振るが、どうにも身体が重い。恐怖と苦痛の余韻に荒い息をつき、胸を上下させながらしばらくベッドに横たわったまま、サイトーは電脳上で素子が作ったプログラムが予定通りに働いているのをモニタした。 ハマノに潜入させるためのダミーの記憶が消えて、当初の予定の通り、ハマノの外部記憶から抜き取った膨大な情報が、圧縮されサイトーの電脳に流れ込んでくる。 巨大な人身売買組織とその流通ルートの情報を手に入れるためとはいえ、ここまでキツい任務は初めてだった。 数分後、サイトーは縛られた両手を何とか自由にしようともがいていた。 クスリはまだまだ切れる気配はないが、ハマノに強引に犯されながら電脳に潜られていた時よりは、少し身体が動くようだ。「特注だ」と得意気に言っていたハマノの声を忌々しく思い出す。 最終的には、義体の方の手の親指の関節を力任せに外し、どうにか縄を緩めて自由を取り戻した。 唸りながら指の関節を戻してから、重い身体を起こしてため息をつく。異常に鋭くなった感覚のせいで、生身の部分の肌がぴりぴりと電気を帯びているようだ。 「サディストの……クズ野郎が」 ベッドの向こうのハマノへもう一度呟く。ハマノはとっくに死んでおり、ぴくりとも動かない。 サイトーの電脳に、精巧なダミー人格の記憶データを作り、攻勢防壁で守らせていたのだ。サイトー本来の記憶データは、ダミーのゴーストラインより深部に隠されており、ハマノにわざとダミーに侵入させ、油断して偽のゴーストラインまで潜り込んだ瞬間、第二の攻勢防壁が作動するようプログラムされていた。 ただ、偽の人格の記憶とはいえ、一時的にその記憶に支配されていたのだ。ゴーストライン近くまで侵入される恐怖は、想像を絶するものであった。 サイトーは両手に顔を埋めて細いため息をついた。 あの生々しい恐怖の残滓がまだサイトーを苦しめている。 やがて、プログラムが作業終了のアラームを鳴らした。 「――クソッ」 吐き出すように呟くと、サイトーは用済みになったコードをプラグから抜いて床に叩きつけた。 (今回の仕事、強制じゃないのよ。よく考えてから決めなさい) そう言っていた素子は、こうなることをわかっていたのだろう。いや、サイトーだってわかってはいたのだ。 ハマノが高度なハッキング技術を持っており、しばしば暴力団から頼まれて怪しい人間の電脳のチェックをしていることと、生身の人間を有線していたぶる趣味があるという情報を得て、その性癖を逆手に取った今回の作戦は、生身の人間であるサイトーにまず白羽の矢が立てられたのだが、サイトーが断れば、次はトグサだ。「まさか妻子持ちにこんなことさせるわけにいかねぇだろ」と笑って引き受けたのは、別にトグサのためではなく、単に自分のプライドを守るためだったにすぎない。それに、 ――こういうことには慣れてる、つもりだったんだがな……。 昔、何人もの男に囲まれてもっとひどい目にあったこともあるが、程度の問題ではない。見知らぬ男に凌辱される経験は、何度経験しても慣れるものではないのだ。 傭兵時代に幾度も経験した屈辱と苦痛が再び甦り、サイトーは自分の浅はかさに今更ながら腹が立った。 ひどく気分が悪い。さっきのハマノからの暴行を思い出すと吐きそうになったが、息を詰め口を押えてどうにか吐き気をやり過ごした。 それにしても相変わらず外部アクセスがうまくいかないのは何故だろう。要因を探り出して解決し、早く本部に連絡を取らなければと思うが、頭がぼんやりしてうまくいかない。さっきひどく殴られたせいだろうか。姿勢を変えると猛烈な頭痛に見舞われ、サイトーは頭を抱えて呻いた。 この部屋にある端末を利用して連絡を取るという方法もあったが、ハマノの物にはどんな仕掛けがあるかわからない。 ――そういえば、ここからおれのセーフハウスが近いな……。 思い当ったサイトーはとりあえずここを出ることにし、動きの鈍い身体に鞭打ってベッドを降りた。 ――― ハマノの狂気に満ちていた部屋から逃げるように出たサイトーは、夜の冷たい空気に触れてようやくほっとした。 ――クソッ、シャワーを浴びればよかったな。 舌打ちをしてため息をつく。自分が着ていた服は破られてしまったため、ハマノの服を適当に着てきたのだが、ヤクザやハマノに散々殴られたため顔や手には血がこびりついている。何よりも、思い出したくもない暴行の痕跡をさっさと流してしまいたかった。 自分のセーフハウスを目指して、路地裏を時折転びながらふらふらと歩いているうちに、サイトーは今度はひどい眠気に襲われた。 足を止めて、壁にもたれてため息を吐く。だが、また歩き出そうとして、サイトーは自分がもうこれ以上動けないことに気づいた。 まずい、こんなところで眠り込むわけにはいかない。 壁に手をつき身体を支えて、気力を奮い立たせようとするが、眠気は去っていくばかりか濃い霧のようにサイトーの頭の中を覆っていく。 ――……パズ……。 不意に、同僚の名前がサイトーの頭を過った。 その途端、気力が戻り、頭の霧が少し晴れる。 セーフハウスに戻って本部に報告できたら、次はパズに連絡を取ろう。 あいつの顔を見たい。 パズに、会いたい。 再び、サイトーはよろよろと歩き始めた。 |
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