物思いの雪
『――目標は、予想通り高速をB地点へ向かって移動中』 状況を伝える警察の通信がサイトーの電脳にも入ってきた。それに別の声が電脳内で答えているのを聞きながら、 ――このままだと、9課の出番は無さそうだな。 と、口には出さず呟いた。 打ち合わせで聞いた、機動隊の作戦通りに事が運んでいるのを確認し、サイトーは少し気を緩める。 不測の事態に備えてひそかに待機していた9課には、どうやら今回は出番は回ってこないようだ。サイトーも、警察の狙撃手のはるか後方で(しかし遥かに高性能の武器と技術を持って)ひとりで狙撃の準備をしていたが、ありがたいことにこの吹きさらしのビルの屋上からは思いのほか早く解放されそうだった。 サイトーは、用済みになったライフルのスコープを目標から外し、ちらほらと雪の降り始めた街を見下ろしてぐるりと視線を巡らせる。 ふと、ある地点でスコープを止めたサイトーは、無意識に口の端を上げた。 視線の先には、青い機体がふたつと、人間が二人――タチコマとパズとトグサが居た。 機動隊の後方にひそかに待機していた彼らも、あとは撤収の指示を待つばかりといった和やかな――見る限りにおいては――緊張の解けた雰囲気であった。 青い戦車が二台とも、トグサに向かってアームを振り回して何か言っているのが見える。トグサはからかうような表情で何か(肉声なので何も聞こえないが)言い返したらしく、タチコマたちが抗議するようにいっそう激しくその青い腕を振り立てた。スコープの倍率を上げると、トグサの口からもくもくと白い吐息が出るところまではっきり見えた。 雪が本格的に降り始めている。午後に入って間もないというのに気温は低く、風は冷たい。 スコープの中も白い雪が舞い、サイトーの視界を阻んでいるが、二機と二人が見えなくなるほどではない。 タチコマは話の矛先を変えたらしく、今度はパズに向かって何か言っている。パズは軽く肩をすくめると、何か言って手を振った。サイトーは、パズの吐息も白く吐き出されるのを一瞬期待したが、何も見えなかった。 おや、と思い、パズの顔を注視したサイトーは、確かにその口が動いているのに吐息が見えないことに軽い違和感を覚える。トグサを見ると、笑っているらしいその口からは吐息が蒸気となって目に見える形で立ち上っているのだ。 義体だからだろうか? 二人の相違点に思い当たり、そう考える。 寒いところで長時間待機するため、体温を下げているのだろうか。だが、そんなことで咄嗟に動けるのか? それとも、義体には体温と運動には関係などないのだろうか。 身近なところに義体率の高い人間がごろごろいるというのに、基本的な知識が欠けていることをサイトーは今さらのように気付いた。 実は普段から体温はそう高くないのだろうか。そう思ってから、サイトーはその考えをすぐに否定した。 そんなはずはない。いつものパズの体温はサイトーの肌がよく知っている。あの温もりと、熱さを誰よりも。 スコープ越しにパズの横顔を見つめていると、ふとサイトーの脳裏に、パズの舌が自分の唇を割って入ってくる感触が甦った。ざらざらとした舌ざわりと、熱さを感じるほどの体温。そして、脇を滑っていく手のひらの温もりと、体内に潜り込んでくるあの―― 『これから撤収する。全員、指定の場所へすぐ集合しろ』 突然、冷たい女の声がサイトーのとめどない連想を断ち切った。 その瞬間、その声の主の全てを見通す赤い瞳が脳内を過ぎり、ハッと我に返る。 サイトーは慌ててスコープから目を離し、舌打ちをしながらライフルを片付けにかかった。よりによって任務中に、しかも無防備に、あんなあられもない妄想をするとは。 片付けるそばから、ライフルの上に白い雪が降りかかる。 ケースを閉めて立ち上がったサイトーは、自分の白い息が雪と共に視界を覆うのを見て、またパズのことを思い出した。 ライフルケースを持ち上げる左手をぐっと握りこみ、空いた右手で顔を覆う。 ――どうかしてるぞ、おれは。 気が緩んでいたとはいえ、パズの顔を見るだけであんな連想をしてしまうなど、もっての外だ。 冷たい風が頬を撫でていくが、不思議なほど寒さを感じない。さっきまでの妄想のせいで、羞恥と反省が――そして、呼び覚まされたある本能的な欲求が――身体の芯を熱くしているのだ。 ――やれやれ……。 サイトーは、灰色の空から次々と落ちてくる雪を見上げてため息をつくと、白い吐息と雑念を振り払うように、きっぱりとした足取りで歩き始めた。 |
サイトーさんも仕事中にエロ妄想。
以前書いた「物思いの雨」のサイトーさんバージョンみたいな。サイトーさんはパズと違って一応反省してます(笑)
パズの吐息の謎は、わたしにもわかりません(え?)。
なんにせよふたりとも、少佐には枝つけられててばっちりお見通しだったりして。うひょー怖い怖いww
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