懲りない男



 眠い。
 がくりと首が前に落ち、ハッとしたサイトーは慌てて頭を振った。
 午後2時。
 昼食を食べた後で確かに眠い時間帯ではあるのだが、今日の眠気は異常だった。
 無理はない。ここ3日ほど、まともに寝ていないのだ。
 2日間に渡る不眠不休の張り込みと、その後に続く大捕り物、そしてこの書類の山である。さすがのサイトーも既に体力も気力も限界にきていた。
 だが、それは同じ生身のトグサも同様で、サイトーの目の前のデスクに座った彼の背はぐったりと曲がってPCに突っ伏している。

 今日の午前中まで、あるテロリストを追いかける任務を負っていたサイトーとトグサは、途中からボーマとパズの手も借りてようやく逮捕にこぎつけた。
 昨日の昼から寝てないというボーマは数分前に書類の山から抜け出して仮眠室へ飛び込んだが、パズは全く疲れを表に出さず、サイトーとトグサの様子に、
「コーヒーでも買って来る」
と、先程部屋を出て行ったところだ。
 返事をする気力もなかったサイトーはそれをぼんやりと見送りながら、
 ――タフだな、あいつは……。
と思った。パズもボーマと同じく、もう24時間以上寝ていないはずなのだ。

 しばらくして、サイトーは印字した最後の書類をファイルに挟むとデスクに投げ出し、
「……終わった……」
と大きくため息をついた。椅子の上で仰け反って背骨を伸ばす。
 まだ突っ伏しているトグサの背中を見て、もう少し寝かせておこうと考えたサイトーはトグサには声をかけず、ファイルを手に立ち上がると部屋を出た。
 そういえば、コーヒーを買うと言って出て行ったパズがまだ戻っていない。眠気覚ましにタバコでも吸っているのだろうと思い、自分もタバコの味が恋しくなったサイトーは、荒巻のデスクに書類を提出したついでにエレベーターで地下の喫煙コーナーまで下りて行った。

 パズは確かにそこに居た。喫煙コーナーのベンチに足を組んで座り、俯いて携帯端末の画面を見て何事か考え込んだ様子でタバコを吸っている。
「パズ」
 と近づきながら声をかけたところで、サイトーはパズが考え込んでいるのではなく、居眠りをしていることに気付いた。
 組んだ足の上に携帯端末を持った右手を乗せ、タバコを持った左手はベンチの上にだらりと置かれている。タバコはとっくに長い灰になり消えていたが、軽く俯いた顔は伏せられたままだ。一瞬で寝てしまって固まったその格好で、パズは器用にもすっかり眠り込んでいる。 
 サイトーは気持ちよさそうに眠っているパズを起こしたものかちょっと迷ってから、やはり起こさないことにして自分も隣にそっと腰掛けた。
 自分のタバコに火をつけ、ゆっくりと煙を吸い込む。
 しばらくすると、サイトーはパズが握り締めている携帯端末が手の中でゆっくりと傾き、落ちそうになっていることに気付いた。このままだとあと数秒で床へ落ちてしまうだろう。
 サイトーは慌てて端末を摘まみ、パズを起こさないようにそっと手の中から引き抜いてベンチに置こうとして、ふと画面が目に入り目を剥いた。

 端末の画面には、明らかに情事の真っ最中で喘いでいる男の動画が映し出されていたのである。
 しかも、動画の男は、紛れもなくサイトー自身だ。
 音を切った画面の中で、赤らんだ顔のサイトーがぼうっとした表情で何か言っている。と、不意に画面が揺れ始めると共にサイトーが苦しげな表情になり、顎を上げて一段と激しく喘ぎ始めたところで、
「こっっ……の野郎!」
 サイトーは真っ赤になって腕を振り上げ、端末を床に叩き付けた。


―――


 サイトーの怒号と端末の弾け飛ぶ鋭い音に、パズは驚いて飛び起きた。
「サイトー? ――うお、おれの端末が……何しやがる!」
「何しやがる?! 何しやがるだと?! よくそんな……!!」
 パズは一瞬何のことかわからず、ぽかんとする。
 が、怒りの余り言葉が出ず真っ赤になってぶるぶる震えているサイトーを見つめていると、端末でさっきまで自分が何をしていたかを不意に思い出した。
 パズはたちまち蒼ざめて、怒り心頭のサイトーの傍から飛びのく。
「お、落ち着けサイトー!」
「……こ、の、野郎……! よりにもよって……ハメ撮りなんかしやがって……!」
「いや待て! それはちょっと違うぞ! おれはただ自分の視覚情報を外部記憶に保存してたのを端末に落として見てただけで……」
「おんなじことだ阿呆!」
 パズを怒鳴りつけたサイトーは、床に落ちた端末を力一杯踏み砕いた。
「今すぐその外部記憶を見せろ!」
「こんなの見ない方が……いやその、ちゃんと後で消しておくから。な?」
 慌てて言い直したパズに、ぴんときたサイトーはさらに怒りの表情を深めた。
「まさか……まだ他にあるんだな? これだけじゃねぇんだな?!」
 サイトーに胸倉を掴まれてぐらぐら揺すられながら、
「そんなわけ、ねぇだろ」
と力なく笑うパズの言葉にはまったく説得力がない。
 そんな相手に怒りを更につのらせたサイトーは、パズの襟元をぐいぐい締めながら怒鳴った。
「一体何考えてやがる! 見せないならイシカワに頼んで無理やりにでも……!」
 サイトーの言葉に、パズは思わず噴き出しそうになった。サイトーは怒りに我を忘れているらしい。というより、寝不足で判断力が鈍りまくっているのだ。
「イシカワに頼む? あいつに自分が裸で喘いでる映像データを探させるってのか?」
「…………!!」
 途端にサイトーは口篭もる。パズのことだからとんでもない映像をまだ隠しているに違いない。それを同僚であるイシカワに見られるなど、真昼間からパズにオカズにされるよりよっぽど恥ずかしい。
 とはいえ、パズがこんな小細工でサイトーとの情事を反芻して楽しんでいるなど、思ってもみなかった屈辱であった。
 何とかパズの隠しているデータを吐き出させたいが、サイトーも眠気と疲れでもうこれ以上頭が働かない。怒りと苛立ちと恥ずかしさがぐるぐると頭を巡り、急に気分が悪くなってきたサイトーは、相手の胸倉を掴んだまま呻いた。

「おいサイトー、大丈夫か?」
「……気分が……」
 パズの胸倉を掴んだまま、真っ赤だったサイトーの顔からみるみる血の気が引いていき、パズは焦った。
「とりあえず座れ、早く……」
 サイトーの両肩を支え、座らせようとした時だった。
「…………」
 サイトーが何か小さく呟くのが聞こえたと思った瞬間、バシャ、という水っぽい音と共にパズの胸元に生温かいものがかかった。
「サ……イトー……お前……」
 パズの服を掴んだままずるずると床に崩れ落ちるサイトーの体を支えることも忘れ、パズは呆然となって立ち尽くした。


―――


 さっきサイトーに踏み砕かれた際に携帯端末の破片があちこちに飛び散ったらしく、灰皿から落ちたそれがカチンと床にぶつかる音が、しんとした喫煙コーナーに響いた。
 一週間前に購入したばかりの新品の携帯端末は粉々に砕かれ、無残な姿を晒している。仕事用にいくつか入れていたデータも吹っ飛んだに違いない。
 べっとりとサイトーの吐瀉物を浴びたパズのスーツは確実にクリーニング行きだが、ロッカーに置いていた着替えも丁度クリーニングに出したばかりで、今日、帰りに着る服がもう何もない。
 パズの足元に崩れ折れてまだ呻いてるサイトーは、おそらく明日には復活するだろう。疲れて寝不足のサイトーを嘔吐するほど怒らせたのだ。きっと明日は無事では済むまい。

 いくつかの取り返しのつかない問題をのろのろと数えた後、それでもパズはサイトーの後頭部を見つめながら考えた。
 ――ま、記念に真剣に怒ってるサイトーの顔を外部記憶に残しとくのも悪くねぇかな……。




 懲りない男、それはもちろんパズ(笑)
 ちなみに当サイトのパズ、サイトーさんのゲロを浴びて途方に暮れるのはこれで二度目です。覚えてますかね・・・結構初期の話だなあ懐かしす。
 どうでもいいんですが、「ハメ撮り」とか、初めて打った単語でしたよ・・・(笑)


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