有料仮眠室



  ダイブルームの扉を入るなり、珍しく不機嫌をあらわにしたスナイパーが言った。
「随分空気が悪ぃな。吸い過ぎじゃねぇのか」
「タバコはてめぇも吸うだろうが」
 振り向いたイシカワが、口に咥えていたタバコをコーヒーの空き缶に押し込みながら言い返した。
 時間は深夜も過ぎ、日付が変わろうとしている。髭の男が巣食うダイブルームの空気は白く濁り、空き缶には既に入りきらない吸殻が飲み口から零れ落ちんばかりにはみ出ていた。
「どうした。ご機嫌ナナメだな」
 イシカワが隣の椅子に乱暴に腰掛けたサイトーに尋ねると、
「疲れてんのに、仮眠室がリフォーム中で使えねぇんだよ。参った」
とサイトーは答え、椅子の背もたれを最大限までフラットにして横になった。
「おい、だからってここで寝るなよ」
「寝るか。こんな煙たいところで」
 そう言いつつ、体を伸ばしたサイトーは、ため息をついて目を閉じる。
「こら、邪魔だ。横になるな」
 邪魔と言われ、サイトーは子供のようにちょっと拗ねた顔をしたものの、やはり目を開ける気配はない。
 サイトーの拗ねた表情に一瞬オヤジ心をくすぐられ、じゃあ寝ていいぞと言いそうになったイシカワは、慌てて心を鬼にして言った。
「さっさと帰って寝ろ」
「明日、朝イチで仕事が入った。帰る時間がもったいねぇ」
「共有室のソファとかあるだろうが。ここよりはマシだろ」
 イシカワがそう言うと、目を閉じたままのサイトーの眉間のシワがぐっと深くなった。
「……先客が居るんだよ」
「パズか」
「……」
 すかさず言い当てたイシカワに、サイトーは目を瞑ったまま黙って頷いた。
「まだ仲直りしてねぇのか」
 イシカワは呆れて言った。
 今朝から二人の様子が微妙におかしかったのだ。普段から無表情な二人なので変化が判り難いのだが、イシカワはすぐに、ケンカでもしたのだろうと見抜いていたのだった。
「……子供じゃねぇ。そんな言い方するな」
「どうせくだらねぇことでケンカしたんだろうが。行って仲直りしてこいよ。仲直りついでにソファで仲良くちちくりあって寝てこい。カメラは切っといてやるからよ」
「……セクハラオヤジ」
 口だけでにやりと笑って呟いたサイトーの顔から、たちまち力が抜けていく。よほど疲れているのだろう。空気が悪い、と言いつつ眠気には逆らえないようだ。
「おい、本当にここで寝る気か? おれはまだ仕事中なんだぞ」
 イシカワは眉をしかめてスナイパーの脇腹をつついたが、あぁ、と曖昧な返事が聞こえたきり、あとは寝息に変わってしまった。
「……それにしてもまあ、無防備な……」
 椅子の上ですっかり脱力した体を見下ろしたイシカワは、新たなタバコに火をつけてふうと煙を吐き出すと、苦笑して呟いた。


―――


 後頭部の鈍い痛みで目を醒ましたサイトーは、ぼんやり目を開くとまず、ここはどこだろうと考えた。
「よお。起きたか」
 隣から声をかけられ、そちらを向くと、二本目のコーヒーの空き缶に吸殻を詰め込んでいたイシカワと目が合った。モニターにはまだ作業中の画面が出ているところを見ると、こちらは徹夜明けのようだ。
「6時前だぞ。お前のスケジュールをさっき覗いたが、そろそろ時間だろ」
 イシカワは大きな欠伸とともにそう言うと、眉間をごりごりと揉んでいる。
「……本気で寝ちまったのか……」
 のろのろと体を起こしながらサイトーが呟いた。冗談で横になったつもりだったが、本当に疲れていたらしく、イシカワとの会話の途中で記憶がぷつりと途切れている。
 ダイブルームの椅子は長時間のダイブに耐えられるよう、座り心地に関しては優秀な作りになっているが、いかんせん睡眠用ではないせいだろう。ちょっと体を動かすと、関節のあちこちがギシギシ軋みを上げた。
 顔をしかめているサイトーを、何故かにやにやしながら見ていたイシカワが言った。
「よく言うぜ。起こしても起きなかったくせによ」
「……そうか。すまん」
「まあいい。さっさとシャワーでも浴びて仕事してこい」
「悪かったな、仕事をしてる横で寝ちまって」
 サイトーがすまなそうに言いつつ立ち上がると、イシカワは脇に置いていた灰皿代わりの缶を差し出した。
「いいって。すまんがついでにこれを捨ててきてくれ」 
「ああ」
 それくらいはしても当然だと思い、サイトーが右手を差し出して受け取ろうとした瞬間だった。

 さっと缶を引っ込めたイシカワに、右手首を掴まれてぐいと強く引っ張られた。
「あ?!」
 バランスを崩し、イシカワの胸に倒れ込みそうになったサイトーは、危うくイシカワの椅子の背もたれに左手を突く。
「何を……」
 言いかけたその口を、ちくちくする髭に覆われた唇に塞がれた。
 一瞬固まった後、サイトーは目を剥く。
「ん! んんん……!!」
 唸り声を上げて激しく暴れるサイトーの右手と後頭部をがっちり固定し、たっぷり十秒は口付けたイシカワは、やっとサイトーを解放すると、
「宿泊代だ」
と言ってにやりと笑った。
「お……お……お前……!!」
 サイトーは後退りしながら真っ赤になって抗議の言葉を探したが、あまりのショックに言葉が出てこない。
「今度パズとケンカした時は、直接うちに来い」
 そう言ってイシカワはぺろりと唇を舐めると、
「ご馳走さん。あと、これも忘れるな」
と、さっきの缶をサイトーの方へ振って見せた。

「二度とここでは寝ねぇからな……!」
 怒鳴りながら缶を腹立たしげに掴んでダイブルームを出ていくサイトーの背中に、イシカワが楽しげに呟いた。
「宿泊代の大半は夜のうちにいただいたんだがな。……まあ、知らぬが仏ってな」





 他人の記憶を抜くのは少佐の専売特許ではないということで(笑)
 身体の痛みは椅子のせいばかりではなかったり。エロ髭オヤジの前で油断したサイトーさんが悪いのです。


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