約束のかわりに




 玄関のドアが静かに閉まる音がして、パズは目を醒ました。
 ベッドの隣を見ると、皺の寄ったシーツの上には既に誰もいない。
 パズはサイドボードのタバコに手を伸ばしながら、一緒に置いていた腕時計に目をやると、このセーフハウスに戻ってからまだ二時間ほどしか経過していないことに気付いてちょっと驚いた。
 仕事の後にいつものようにサイトーを連れ込んで慌しく情事を済ませ、いつのまにか寝入ってからほとんど時間が経っていない。
 パズは薄暗い部屋でもぞもぞと起き上がるとタバコに火を点けた。

 『明日は早いから』と言って嫌がっていたサイトーを無理やり連れ込んだため、寝入ったところを叩き起こされて怒鳴られることくらいは覚悟していたのだが、あの男は気配もなく出て行ってしまった。そのつもりはなかったのに寝入ってしまい、本当に焦っていたのかもしれない。パズとなんだかんだとやり取りする時間すら惜しかったのだろう。
 ハッと目を醒まし、舌打ちをしながら急いで着替えをするスナイパーの姿が目に浮かび、パズは暗闇の中で苦笑する。
 その反面、見事なまでに気配を消してパズに気付かれないよう帰ってしまったサイトーに少し苛立ちと寂しさも覚えた。無理に連れ込まれたとはいえ、「帰る」のひとことくらいあってもいいのではないだろうか。

 最近、サイトーはパズが強引に誘わないと部屋に来ないことが多くなった。他に女でも、あるいは男でも出来たかと邪推したパズに、サイトーは、
「そんなわけあるか。お前の部屋に行くと次の日の仕事に響くから嫌なだけだ」
としかめっ面を返してきた。
 そうか、とパズは安心しかけたものの、ということはほとんど休みの無い9課にいる限り解決しない問題じゃないかと思い当たる。
 ――体のいい断り文句なんだろうか?
 パズはふと不安になる。
 おれの部屋に来るのが嫌なのか?としつこく尋ねると、
「いい加減にしろ」
とついに怒鳴られた。
 苦労してこの関係に持ち込んだだけに、パズとしてはサイトーを離すつもりはない。
 ポーカーフェイスのスナイパーからは本心は窺えないからサイトーがどう思っているかは判らないが、少なくとも憎からず思われているとパズは信じているのだが。
 情事の間のサイトーの反応が鈍くなったとも感じない。高みに昇る興奮の狭間で芝居がかった様子が窺えるわけでもない。短時間ながら今日もパズはいつも通り存分に楽しめた。
 ――これが倦怠期に入るってやつか?
 むっつりとタバコをふかしながらため息をついた。

 タバコを数本消費しながらだらだらと考え事をしていたパズは、ふと隣を見下ろすと枕の下から銀色のチェーンが覗いていることに気付いた。
 指先でチェーンをつまみ、引っ張り出すとやはりスナイパーのドッグタグである。
 サイトーが忘れ物をするなど珍しいことだ。大体、パズと寝る時にわざわざドッグタグを外したことはないのだ。
 タグを目の前にぶら下げてぼんやり見つめていると、
『パズ。起きてるか』
と、不意にサイトーから電通が入った。
 帰って寝たんじゃなかったのか、と思う間もなく、
『お前の部屋に忘れ物をしたから、また今度取りに行くからな。そのまま置いとけよ』
と早口で一方的に告げられるとさっさと切られてしまった。
 ――……??
 サイトーの声の余韻の中、タグをぶら下げたままパズはしばし首を捻った。

―――

「面倒臭い奴だ」
 自分のセーフのベッドに潜り込みながら、サイトーはため息をついた。
 こうでもしないと、何故うちに来ないんだおれと寝るのが嫌なのかとまた執拗に尋ねられるのだ。
 行く気が無いわけではないと、何度説明してもパズが疑うのは何故なのだろう。
「嫌なわけないだろうが」
 サイトーはシーツを引き寄せると、目を閉じて出勤までの短い睡眠に突入した。



 倦怠期が心配なパズ兄さん。サイトーさんは本当にただ仕事に支障をきたすのが嫌なだけなようです。
 ・・・って、仕事に支障が出るほど頑張らなくても・・・パズ兄さんたらエッチ!(笑)

                                                  


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