野次馬達の時間




『ヤノ! 足下にワイヤー!』
 建物の入り口へ先に踏み込んだヤノは、バトーの電通でハッと足を止めた。
 しかし遅かった。クッと右足首に微かな抵抗を感じたかと思うと、入り口の数十センチ内側に張られていた細いワイヤーがヤノの足下で外れる気配がした。仕掛け爆弾だ。
「やっ…!」
 やばい、と咄嗟に退こうとしたヤノは、後ろから力強い腕に引かれ仰向けに引っくり返る。
 その瞬間、ドアを吹き飛ばす勢いの爆発が起きた。
 反射的に頭を抱え、縮こまる。意外に爆風を感じない、と思ったらヤノの上にバトーの大きな身体が覆い被さっていた。ヤノを後ろに引き倒してくれたのもバトーだったのだ。
 爆風がおさまったところで、バトーが素早く身を起こし、
「行け!」
と、ヤノの背中を蹴る。
「はい!」
 ヤノも素早く飛び起きて、再度室内に飛び込んだ。


『対象は全員確保した。ごくろうだった』
 ティルトローターに戻った隊員たちに、荒巻が労いの電通を送ってきた。と同時に次の指令が出される。
『こちらに戻ってからは、パズとボーマとイシカワは協力して市場に流れた麻薬を追え。サイトーとアズマは新浜署で、今日確保した奴らの事情聴取に立ち会うこと。少佐はトグサと共に予定通りフタサンサンマルまでに総理官邸へ来い。わしと合流し、明日の視察のため総理と共に今夜中に福岡へ向かう。ちゃんとしたよそ行きに着替えて来い。後の者は戻り次第報告書をまとめること。以上だ』
 了解、とそれぞれが返信を送り、動き始めたティルトローターの中で一斉にやれやれと腰を下ろした。
「誰だよ、今日は一時間で戻れるとか言ったのは」
 腕時計を見たボーマが、出動から既に5時間が経過しているのを確認してため息をついた。
「ボーマじゃなかったか? それ言ったの」
 タチコマの足の間に座り込んでいたアズマが目を閉じたまま言った。新浜に戻るわずかな間にも仮眠を取ろうとしているようだ。
 今日は某政治家の絡んだ麻薬の取引現場を押さえる任務だったのだが、事前に情報が漏れていたらしい。
 取引相手の暴力団の幹部は逃げようとしていたところを確保したものの、逃げ遅れた数人のヤクザが破れかぶれになって広い麻薬精製工場内のいたるところにブービートラップを仕掛けて立て篭もってくれたおかげで、無駄に苦労させられた。
 どこからそんなに武器を揃えたのかと思わず感心してしまう。あまりに素人くさいトラップだったが、逆にびっくりするような場所に仕掛けがあったりして、ひどく神経を遣った。
「ちゃんと着替えてこい、だってさ」
 トグサは埃だらけのニンジャ服の首元を引っ張って、向かいに座っているバトーに笑いかけた。
「その格好じゃ、茅葺総理に嫌われるからな」
 同じく埃だらけのバトーがにやりと笑みを返す。
「シャワーを浴びたらパジャマにでも着替えたいよ」
「パジャマで総理の護衛か?」
「馬鹿言え。寝込みを襲うんじゃないんだから」
 一仕事終えたあとの、平和でくだらない会話。
 機内の振動も今は心地よく、気を抜いたら眠ってしまいそうだった。
「そういや、ヤノはバトーがいなかったら今日は3回くらい死んでたな」
 トグサはお喋りに専念することにし、バトーの隣に腰掛けた若い新人に声をかけた。
「……っ、すみません」
 既に船を漕いでいたヤノが、弾かれたように顔を上げる。
「まだ足を引っ張るばっかりで……」
 情けない顔になり、隣のバトーを見上げる。トグサはヤノの不甲斐なさを責めるつもりはなく、怪我がなくて良かったなと言葉を続けたかったのだが、
「トラップに気をつけろとあれほど言ったのによ。ことごとく引っかかりやがって」
 ヤノの首根っこを手で掴んだバトーが、こいつ、と顔をしかめてみせるのを見ると、笑っていたトグサは表情をたちまち消し、ほんの少し唇を尖らせた。
「あんなにトラップの種類が多いと思わなくて……」
「トグサ並みの生身なんだからもうちっと気をつけろ」
「はい。今日はありがとうございました」
「今日の報告書は任せたぜ」
「あ、はい。わかりました教官」
「あと『教官』はいい加減やめろってあれほど」
「バトー、仕事を人に押し付けるなよ」
 わずかに不機嫌さを滲ませた声でトグサが遮ると、バトーは慌ててヤノの首から手を離した。
「わぁったよ。報告書ぐらい自分で書くさ」
 じろりとチョコレートブラウンの瞳に睨まれ、誤魔化すように煙草を探ったが、ニンジャ服には当然そんなものは入っていない。舌打ちをし、バトーは膝の上で頬杖をついた。
 やりとりをそれとなく聞いていたその他の隊員たちは、そっと顔を見合わせた。
 素子がさりげなく髪をかき上げ、バトーたちからは見えない角度で、自分の頭を人差し指でこんこんと叩いてみせた。「暗号通信の回線を開け」の合図である。それを見て、イシカワ、パズ、サイトー、ボーマの4人が表情も動かさないまま回線を開いた。

 
素 『ねぇ、バトーはわかってやってるの? あれ。トグサが怖いんだけど』
イ 『無意識だろ。新人いじりはあいつの趣味だからな』
ボ 『だけどアズマはいじらないんだよな、不思議なことに』
素 『ちゃんと見分けてるんでしょ』
サ 『いじられタイプをか?』
イ 『そうそう。アズマは完全にそのタイプから外れてるからな』
ボ 『じゃあ意識的にやってるってこと?』
サ 『トグサにやきもちを焼かせるのが楽しんじゃないのか?』
パ 『それで睨まれて喜んでんのか? マゾかあいつは』
素 『単に可愛いコが好きなだけでしょ。バトーは』
パ 『それならサイトーが一番可愛いのによ』
全 『(冷ややかな沈黙)』
ボ 『……ところでヤノはわかってるのかな? トグサの嫉妬』
パ 『わかってねぇだろ。天然だから』
サ 『わかってたらバトーにあんな無防備にしなだれかからねぇよな』
イ 『おぉ、寝ちまったか。バトーの奴、ヤノの頭を肩から追い出すか悩んでるぜ』
パ 『電車で眠ったOLに寄りかかられてる中年サラリーマンみたいだな』
素 『あらあら、ヤノったら口開いちゃって。可愛い寝顔ね』
ボ 『バトー、いま一瞬嬉しそうな顔しなかった?』
サ 『……トグサの顔が怖い』
イ 『まあ、ヤノとツーマンセルを組んでるバトーを見てると、以前のトグサとバトーを思い出すな。作戦中の庇い方がそっくりだ』
サ 『それは仕方ないと思うぜ。ヤノも生身部分が多いしな』
素 『すごく心配してるくせにぶっきらぼうなのよね。で、時々優しい声を掛けてみたり』
イ 『へっ。その落差に魅力があるってか。トグサはそれで堕ちたしな』
ボ 『ほんとにわざとじゃないのかなぁ』
素 『ボーマ、そんなに波風立つのを期待してるの?』
ボ 『いやぁ、えへへ』
全 『(否定しないのか……)』
パ 『ま、バトーがヤノに手を出したくなるのも分かるが』
サ 『……お前、タイプなのか?』
パ 『まさか。おれのタイプはサイトー……んがっ! 少佐、足退けろっ足っ! おれの足の小指踏んでるって!」
素 『いちいちノロケるな。鬱陶しい』
ボ 『そういえばヤノってノーマルなの?』
イ 『ノーマルだと思うぜ。新人どもの噂だと、彼女がいるらしい』
サ 『女がいるのか?』
イ 『保育士だとよ。可愛いって噂だぜ』
ボ 『公安の人間が保育士なんかとどこで出会うわけ?』
イ 『新人の奴ら、公務員って肩書きで時々合コンしてるらしい。馬鹿どもが』
パ 『ゴーコン? ゴーコンって何だ?』
素 『スケコマシは黙ってなさい』
ボ 『それにしても、ヤノに彼女がいることアズマは知ってるのかな』
サ 『アズマ? あいつトグサだけじゃなくヤノも狙ってるのか』 
素 『あら、見たらわかるでしょ』
パ 『あいつも愛人所帯持ちだのノーマルだの、報われねぇ恋が好きだな』
イ 『悲恋の似合うやつじゃねぇけどな』
全 『同感』
 ティルトローターの中は機械の唸り以外は静まり返り、表面的には疲れた表情でむっつりと黙り込んだ者たちが思い思いに考え事をしているようにしか見えないのだが、電通ではワハハハと馬鹿笑いで大いに盛り上がっている。


 バトーは自分たちの話題で盛り上がられているとも知らず、くあぁと大あくびをした。寄りかかっているヤノがあまりに安らかに眠っているため押し退けるのは諦め、向かいから浴びせられるトグサの嫉妬光線から逃れるため俯いて腕を組み、胸に顎を埋めた。
 公安ビル到着まであと15分。
 その間にも、野次馬たちの噂話は尽きることなく続くのだった。
 

                                                 

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