あなたのためなら何処までも : 後編



 出発してから2時間。
 暗い海沿いの通りを走りながら、風を切る音とエンジンの音に散々まみれたサイトーはいい加減うんざりして電通で叫んだ。
『いつまで走るんだ! おいパズ!』
『風が気持ちいいなあ、サイトー』
 案の定、顔は見えないが、出発したときからずっと楽しげなパズのすました答えが返ってくる。
『あんまり遠出をすると緊急の呼び出しがかかった時困るぞ!』
『大丈夫大丈夫』
『……!』
 電通でサイトーの苛立ちが伝わってくるが、パズはヘルメットの中で鼻唄を歌いながらハンドルを切った。

 さらにその1時間後。
『……うあっ! パズ! 無茶すんな!』
 突然、山道へ分け入ったパズは、バイクで細い獣道のような小道を突っ切って走っていた。
 がくがくとバイクが揺れ、小枝や背の高い草が腕や頭を叩いていく。
『しっかり掴まってろよ』
『こんな山の中に……何考えてやがる!』
『さあなぁ』
 あくまで涼しげなパズの声。

 と、いきなり山道を抜け、視界の開けた場所に出た。
 夜が明けはじめたのか、辺りはぼんやりと明るくなりはじめている。
 林の中の開けた土地の向こうに小さな小屋のようなものが見え、その向こうは崖にでもなっているのかすっぱりと切り取られたように地面が終わっている。そのさらに向こうには、朝日が昇る前の薄明るい海が白い湯けむりに霞んで見えていた。
「……湯けむり?」
 サイトーはパズに促されてバイクから降りながら顔をしかめた。
 小屋の向こうからもうもうと上がっているのは確かに湯気だ。
「すごいだろ? 温泉が湧いてるらしいぜ」
「温泉?!」
「秘湯ってやつだよ。9課のダイブルームで随分マニアックなところまで潜って探したんだぞ」
「……なんでまた、温泉なんか」
「泉質を調べたら、骨折に効くってあったからな」
「……お前な……」
 得意げにニヤッと笑ってみせるパズに、サイトーは呆れて言葉を失う。気持ちは有難いが、ここに来るまでに随分疲れてしまった。おまけにずっと同じ姿勢でバイクにしがみついていたせいでこころなしか肋骨も痛む。
(……帰りのこととか考えてねぇな。こいつは……)
 湯治というならせめて一週間くらいはここに留まってゆっくりできないと意味は無い。今日一度だけ浸かったところで治るとも思えないのだが。
「……まあいい。折角だから入るが……」
 言いたいことを飲み込んでため息をついたサイトーは、首を振ってパズにヘルメットを渡した。
 サイトーの後ろからバイクを押して小屋へ向かいながら、
「何だ、おれの心遣いに感動して言葉が出ないか?」
と、あくまで機嫌のいいパズにはかける言葉もない。
 機嫌がいいのは、おそらく下心もあってのことだろう。サイトーは腰の後ろにいつも挟んで持ち歩いているものをそっと触って確かめた。

―――

 粗末な木の看板に手書きで「着替えはこちら」と招いている簡素な小屋は本当に着替える場所を提供しているだけのようで、ふたりは狭い部屋で服を脱ぐと、そこに置いてあった小さな桶とパズの持参したタオルをそれぞれ持って湯気にけむる方へ歩いていった。
 早朝のためか、まだ誰もいない露天風呂には柵も何もなく、それほど大きくはない湯船には無骨な石をぐるりとめぐらせてあり、手作り感満載の風情だった。
 風呂の向こうには、視界いっぱいの朝焼けの海。
 褐色に濁った少し熱めのお湯に早速浸かり、いったん頭まで沈んだあと顔を出し、気持ちよさそうに顔を拭ったサイトーが景色に目をやって呟いた。
「景色がいいんだな」
「だろ?」
「……何だ、この手は」
 濁った湯の中で、パズの手がさりげなくサイトーの腰に回ってきたことに気付き、サイトーはさっと離れるとパズを睨み付けた。
「やっぱりそっちが目的か」
「まさか。湯の中で身体を揉んでやろうと思っただけだ」
 思わぬ言い掛かりに傷ついたというような顔をしたパズが言い返す。
「最近、怪我のせいでデスクワークが続いてるから肩や腰が凝ってるだろうと思ったんだよ」
「また見え透いたことを……。嘘をつくな」
「おいおい、おれの親切心を何だと」
「余計なお世話だ」
「遠慮するな。ほら、ちょっとあっち向けよ」
 言いながら再びするすると腰の辺りをさまようパズの手がふと敏感な場所に触れたのか、サイトーが息を詰めて一瞬身体を強張らせた。
「っよせ、やめろ」
 かあっと赤くなったサイトーは腕を上げてパズを突き飛ばし、
「近寄るな!」
と睨み付けた。
「照れるなよ。昨日はいろいろさせたくせに」
「あれは自分の部屋の中だったろーが!」
「昨日は素直で可愛かったのになあ」
「近寄るなと言ってるだろ!」
「つれねぇな……って、おい」
 ごり、と額に押し付けられた固く冷たい感触に、パズが顔をしかめた。
 さっと桶の方に手を伸ばしたサイトーが、セブロを握って銃口をパズの頭に押し当てたのである。
「ち、か、よ、る、な」
 一音ずつ区切って言ったサイトーから、パズはしぶしぶほんの少し離れた。
「……たく、桶の中にセブロかよ。風情のないやつだな」
「お前と温泉に入るのに丸腰なわけねぇだろ」
「いやいや丸腰なんてとんでもない……」
「ばっ馬鹿野郎! 変なトコ触るなっ! 本当に撃つぞ!」

 セブロを握ったサイトーとパズがお湯を跳ねながら揉み合っていると、
「あれぇ、あんたら早いなあ」
と、のんびりした声が上から降ってきて、ふたりはぎょっとして固まった。
 見ると、ひとりの老人がタオルを股間にあて、今しも湯船に浸かろうとしているところだった。
「表のバイクはあんたたちのかな? ふたりで旅行中かね? ここ、よく知ってたなあ。普段ここは地元のジジイくらいしか来ないんだけどねぇ」
 肩までゆっくり湯に入りながらアーーとしわがれた声を上げている老人を、お互いの手首を握った状態のまま硬直して見つめるふたり。
 全く気配に気付かなかった。というより、全く注意を払っていなかったのだ。
 その時。
「おはよう、トミさん今日は早いね」
「ありゃあ、若いひとが来てるね。珍しい」  
「ああ、あのバイク。バイク旅行かねキミタチ」
「ゲンさんゲンさん、つーりんぐって言うんだよ」
「ほお、詳しいなテツさん」
「そりゃ若い頃はわしも……」
 なんと、どこからやってきたのか、賑やかにおしゃべりをしながら5、6人の老人たちが小屋からぞろぞろとこちらへ歩いてくるのだ。

『……パズ、帰るぞ』
『……おう』
 顔を見合わせ電通で囁きあい、そそくさと湯から上がるふたりへ、最初の老人がほんのり桜色になった顔をこちらへ向けてにこにこ笑いながら声をかけてきた。
「またおいで。……ああ、それからここらのジジイは朝早いから、ふたりで仲良くゆっくり入りたかったら夕方か夜にでも来るといいよ」 
「『仲良く』だってよ、トミさんえっちだねぇ」
 慌てて小屋へ駆け込むパズとサイトーの背中へ、老人たちのワハハハという大笑いが追いかけてきた。

―――

『パズ……お前一体ドコのサイトで調べたんだよ!』
『いろいろだよいろいろ!』
『どこが秘湯だ馬鹿野郎!』
『こんな山の中にジジイがぞろぞろ来るなんて思わないだろ!』
『下調べが甘いんだよ! お前と温泉なんか二度と来ねぇからな!』
 狭い小屋の中で身体を拭くのもそこそこに大慌てで服を着ながら、ふたりは電通で際限なく怒鳴りあうのだった。





 後藤孝明さまのリク、「温泉でまったりするパズサイ」でした。……あ、まったりできてない(^^;) キャッキャはしてるけど。
 ただいまパズのキャラが迷走中。もっとクールなひとのはずなのですが……。
 閑散としてるように見えるけど地元の人からするとメジャーな場所だったりとか、よくあります。気を緩めてはしゃいでると意外と人に見られてたりして(笑)
 最初に来たじーさまはきっとふたりが湯に浸かる時点からずっと見ていたに違いない(笑)


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