頭痛の女




 腹部に強烈な不快感を感じ、パズは眠りから覚醒して目を開けた。
 白い天井が目に飛び込んでくる。一瞬、自分がどこに居るのか分からなかったが、職場の仮眠室だとすぐに思い出した。昨夜は私用で寝不足だったため、午後の空いた時間を見つけて昼寝をしていたのだ。
 身体を起こそうとすると、不快感が胃の辺りから波のように喉元へ駆け上がってきて、思わず動きを止めて呻いた。
「うぅ……む……」
 何だ、この気分の悪さは。
 ただの嘔吐感だけではない。腹部と背中が猛烈に痛む。なったことはないが、生身の人間の胃痛にあたる感覚だろうか。
 ぐっと生唾を飲み込み、パズはベッドの上でうずくまる。腹を押さえて丸くなり、痛みをやり過ごそうとするが、痛みは引くどころか次第に酷くなってくるようだ。何が原因か解らないまま体内プラントで解毒してみるが、まったく回復する様子はない。じっとしていることができず、右を向いたり左を向いたり、七転八倒して苦しんでいると、近くに寝ていた誰かが起き出して来た気配がした。
「パズ、どうした」
 声をかけてパズの肩に触れたのは、バトーである。
 パズはちらりとバトーの顔を見上げたが、苦痛のあまり返事をすることもできず、また固く目を閉じてうずくまった。
「腹が痛ぇのか?」
「……っ」
 返事をしようと口を開くと、声の代わりにベッドの上にごぼっと大量の水を吐いてしまった。おそらく寝る前に飲んだ水だ。
「パズ?! ……医務室にいま連絡したから、ちょっと待ってろ」
 素早く電通を送ってくれたらしいバトーは、手近にあったタオルをパズの口にあてがう。
 パズは咳き込んで何度か水を吐いたあと、再び腹を抱えて丸くなった。嘔吐感は去ったが、痛みはますますひどくなる。シーツに顔を埋め、バトーに背中を擦られながら浅い呼吸を繰り返す。
「どうしたんだ、何か変なものでも食ったか?」
 バトーは子供でもからかうような口調で声をかけてくるが、それとは裏腹に心底心配そうな表情である。
 しゅっと扉の開く軽い音がして、仮眠室へ白衣を着た老人が入ってきた。9課付きの義体の専門医だ。医師はパズが吐いたことをバトーから聞くと、
「おぉ? どうした、拾い食いでもしたか」
とこちらもバトーと似たようなことを言ってぽんぽんとパズの背中を叩いた。後ろから来た、オペレーターとそっくりだが医療用スタッフである白衣のガイノイドにストレッチャーを持ってくるよう指示をする。
「よしよし、胃のあたりが痛いんだな?」
 医療用の特殊な機器のついたケーブルをパズの首の後ろに挿し込み、携帯用のモニタで状態を確かめながら医師は優しく背中を撫でてくれる。
 ふと、医師がパズのベッドの枕元に置いてあったペットボトルを持ち上げた。中に水が少し残っている。
「……?」
 ボトルを目の高さに持ち上げて軽く振った医師は、水中にわずかな不純物が舞い上がるのを認めて眉を寄せた。


 1時間後。
「……パズは何だって?」
 共有室にバトーが戻ってくると、心配して集まっていた面々が一斉に注目した。真っ先に声をかけてきたトグサは、バトーのむっつりした表情に、自分も表情を曇らせる。
「そんなに悪いのか?」
「……いや」
 バトーはどさりとソファに腰をかけると、
「……あの馬鹿。おれの仮眠の時間を返せってんだ。今日は当直なんだぞ」
と、ぶつぶつ文句を言い始めた。
「どういうことだ? パズは大丈夫なのか?」
 とサイトーが眉を寄せる。今日は非番だったのだが、イシカワが電通を回してくれたため、慌てて駆けつけたのだ。
「鎮痛剤」
「はぁ?」
「女の。生身用の鎮痛剤が入った水を間違って飲んだんだとさ。馬鹿馬鹿しい」
(おいおい)
 ひやりとしたイシカワがこっそりサイトーを見たが、
「ふうん?」
と、スナイパーは小さく呟いただけだった。
「女のって? どういうことなんだ?」
 空気の読めないトグサがさらにキルゾーンへ踏み込んだ質問をする。イシカワが内心『それ以上はやめてくれ』と願ったが、トグサには通じない。
 不機嫌なバトーが語ったところによると、昨夜パズと一緒だった女が、市販の水に自分用に『調合』した鎮痛剤を溶かし込んで持ち歩いていたらしいのだが、たまたまパズが同じ種類の水を買ったため、取り違えて持って帰ってしまったらしい。
彼女が鎮めたかったのが果たして頭痛だったのか生理痛だったのか歯痛だったのかはもはや不明であるが、非合法な薬が混じっていたためと、生身用のものだったため、義体率の高いパズには強烈な影響を及ぼしてしまったらしい。しかも基本的に毒薬ではなく薬のため、体内プラントが使えなかったようだ。
「ほぉ……なるほど。昨日は頭痛の女と一緒で忙しかったわけだ。約束の時間に来ないあいつを何度呼び出しても電通が通じないはずだぜ」
 ひとわたり事情を聞き終えると、サイトーが冷ややかにそう言ってゆらりと立ち上がった。イシカワの目に、無表情なスナイパーの背後に立ち上る黒いオーラがはっきりと見える。
「サイトー、落ち着け……」
 小声でたしなめるが、そんなことでは収まりそうにない。
「チョット、ぱずノ見舞イニ行ッテクル」
 腹話術の人形のようにカクカクと口を動かし、棒読みで喋るサイトーが、無表情過ぎて逆に恐ろしい。
明らかに憤怒を抑えているサイトーに気付いた他の面々も、慌てて立ち上がってサイトーを引き止めた。
「サイトー、気を静めろ」
 イシカワがぽんぽんと肩を叩くがあっさり振り払われる。
「まてまて、まだあいつも弱って寝てるし」
 喋りすぎたとばかり、バトーも慌てて抑えにかかる。
「み、見舞いに狙撃銃は必要ないよな?! な? 置いていこうぜ!」
 トグサがサイトーの右手のライフルケースに必死にぶら下がり。
「ちょ、セブロもいらないよな?!」
 サイトーの左手が腰の後ろのセブロに伸びるのを見て、ボーマがその手首を掴む。
「サイトー! 昨日言ってた最新ライフルカタログ一緒に見ようぜ! な!」
 バトーが雑誌をサイトーの目の前で振ってみせる。
「うぉ、すげぇ! これすげぇカッコイイぞ! ほらほらサイトー!」
「バトー、頑張れ!」
「もう一押し!」
 みんなの声援が飛ぶ。
「サイトー、おれの秘蔵武器カタログも見せてやるよ! 何ならお前にやるから!」
「そうしろそうしろ! おれたちも一緒に見ようぜ!」
「うわあ、カッコイイ! 欲しいなあ!」


 共有室が大騒ぎになっている頃。
「ぶわっかもーん!」
 医務室で、医師が入れ歯を飛ばさんばかりにパズを怒鳴りつけていた。
「こんなくだらんことでワシの手を煩わせるな! 自己管理をしっかりせんか! 拾い食いよりたちが悪いぞ、バカモノ!!」
「……」
 まだしくしくと痛む胃を抱えながら、パズはベッドの中でしゅんとうなだれていた。
 医師に散々叱られ、今日は厄日だなと思いながらシーツにもぐりこんだパズは、昨日サイトーとの約束をそれと知らずすっぽかしてしまったことも、本日最大の災厄が着々と近づいてきていることも、まだ気付いていないのだった。



 あーほんとくだらない(笑)。ボツ原稿を拾ってくるとこういうことになるのです。
 このノリはどこかで見ましたね。そうです。「公安9課狂詩曲」の元ネタです。これ書いたあと、ありえねーと思って作り直したのが「公安9課〜」だったり(^^;)


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