雨音は苦い余韻の調べ



 雨が降っている。

 パズは雨音を聞きながら天井を見つめていた。今日初めて来る部屋の、見知らぬ天井。
 ベッドは少し固い。あまりいいホテルではないから仕方がない。最初に目に付いたホテルに連れを押し込むようにして飛び込んだのだから、まあ当然だろう。
 ――煙草が吸いたい。
 ふと欲求にかられ、パズはそっと身体を起こした。煙草を置いたサイドボードはベッドの反対側にあるため、パズは隣に横たわる連れの身体を半分乗り越えるようにして手を伸ばす。
 起こさないように静かに動いたつもりだったが、その途端連れが目を開け、驚いたようにこちらを見上げた。
「……っ……パズ?」
 その怯えたような表情に、パズも少し驚いた。
「……もう、何もしねぇよ。煙草を取りたいだけだ」
 パズはできるだけ柔らかくそう言うと、サイドボードの煙草とライターを取り上げ、相手の身体から離れた。
「……そうか」
 トグサはほっとしたように小さくため息をつくと、寝返りを打ってパズに背を向けた。

 トグサの背中を見ながら、パズは煙草の箱を握ったまま、少しばかり苦い思いが込み上げてくるのを感じて目を閉じた。
「……乱暴にして、悪かったな。トグサ」
「……いいんだ」
 小さな返事が聞こえる。
 パズは煙草を取り出すと、一本咥えて火を点けた。

 今日は、最初からトグサを優しく抱くつもりなどなかった。ここへ来る間中、ずっと荒々しい欲望を抑えるのがやっとだったパズは、今日の行為はトグサには苦痛が多いだろうと予想していたのだ。
 それに何より、トグサがそれを望んでいたのだから。



―――



 裸の肌に人の気配を感じ、トグサは意識を取り戻した。
 眠っていた、というより気を失っていたのだ。意識が戻った途端、身体の節々が悲鳴を上げてその痛みにトグサは息を詰まらせた。
 身体の奥に潜む熱と痛みがさらにトグサを覚醒へと導く。

 今日の自分の行動への後悔と羞恥にしばらく目を開けたくなかったが、突然身体の上に人が覆い被さる気配がして、トグサは思わず目を開いた。
 目の前に、パズの裸の胸。
 ぎょっとしたトグサは目を見開く。
「……っ……パズ?」
 ――まさか、まだ……? 
 さっきまでの嵐のような相手の行為を思い出し、トグサは無意識に身体を強張らせた。
「……もう、何もしねぇよ」
 トグサの怯えを感じ取ったのか、パズは優しくそう言うとすぐにトグサから離れた。
「……そうか」
 ほっとして、思わずため息が出た。が、ため息を吐いてから急にパズに悪い気がして慌てて背中を向けた。
 ……初めて抱かれた相手に、自分は何という要求をしたのだろう。

 しばらく二人の間に気まずい沈黙が落ちる。
 先に沈黙を破ったのはパズだった。
「乱暴にして、悪かったな。トグサ」
「……いいんだ」
 そうして欲しいと言ったのは自分の方だからな、とトグサは心の中で付け足した。

 今日、望んでいたのは優しさでも癒しでもない。
 パズもトグサも、お互いやり場の無い身体の疼きを慰めに来ただけなのだから。


―――


 サイトーがアフリカへ行き、もう一年近くが経とうとしていた。
 ということは、素子が消えてから、もう一年半だ。
 バトーが9課とトグサから離れがちになったのもまた同じくらいの期間で。
 トグサは隊長職に就き仕事に忙殺され、パズもまた、次々に入ってくる新人のお守りで忙しい思いをしていたが、ふたりともそれぞれの想いを忘れているわけではなかった。

 サイトーとは一切電通が繋がらない。アフリカのそういう環境にいるのだからサイトーにもどうしようもない、と思いたかったが、荒巻には定期的に連絡が入っているはずだからそうとも言い切れないのだ。
 サイトーが何を考えているかわからない、この状態が一年。
 パズが黙って苛立ちを押し殺していることを9課の古参メンバーは解っていたが、パズが何も言おうとしないので皆も何も言わなかった。
 頻繁に女を漁り、きつい香水の匂いを纏って出勤してくるパズに、さすがに見かねたイシカワがある日苦言を呈したが、珍しく激昂したパズが相手の胸倉を掴んで何か言い返してからは、イシカワは二度と口を出さなくなった。
 ふたりの間にどんなやりとりがあったのか、他の誰も知らない。

 バトーは「捜査のため」と言って勝手な行動が増えた。
 素子がいなくなってから、トグサはバトーの考えていることがさっぱり掴めなくなった。
 同じ頃から、バトーはトグサに触れようとしなくなり。
 からかうような言葉の数々も、いつもトグサに向けていた柔らかな態度も消えてしまった。
 トグサはそんなバトーの変化に戸惑いながらも、仕事に忙殺されて話し合う機会をすっかり失っていた。
 そんな時、トグサを気遣うアズマに一度だけ気を許したのも、寂しさからだったのは間違いない。大柄な義体と優しい仕草に泣きたくなるほどの懐かしさを覚え、思わずすがりついてしまった。抱きすくめられ、ぎこちないながらも愛情溢れるキスをされると、頭が痺れるような快感を感じた。
 が、有頂天になったアズマに押し倒されそうになり、悪いと思いながらもそれ以上はハッキリ拒絶した。
 ひどく驚いたアズマの表情。その後にかすかな苛立ちの表情を浮かべ、だがすぐにそれを引っ込めたアズマは素直にトグサを解放してくれた。
 以来、二度とアズマはトグサに言い寄ることをしなかった。
 トグサはほっとしながらも、一抹の後悔と寂しさを感じた。

 9課にかつてない最悪の空気が漂い始めていた。

 パズもトグサも、それが自分たちの責任だと解っていたし、何とかしなければと思ってはいたのだ。
 そんな中、ふたりが割り切って慰めあえる相手をお互いの中に見出したのはごく自然な流れだった。

 そういうわけで、今日の夕方、トグサがパズを誘い、パズはトグサをこのホテルに連れてきたのだ。



―――


 トグサは疲れた身体に鞭打って起き上がった。もう出勤時間までそれほど時間がない。もう少し眠りたいがここで寝るつもりはなかった。
(仮眠室、空いてるかな……)
 今から行けば2時間ほどは眠れるかもしれない。
 何気なく髪をかきあげたトグサは頭に痛みを感じ、息を詰めた。
 後ろから攻められている間、ずっとパズに後頭部の髪を鷲づかみにされ顔を枕に押し付けられていたことを思い出す。
 抱かれている間顔を見たくない、というようなことをトグサが言ったのだ。その途端、乱暴に身体をひっくり返され、頭と腕をベッドに押さえつけられた。
 それからトグサが気を失うまで、パズは黙って背中からトグサを抱いた。

(……気を悪くしただろうか) 
 優しくするな、とか、顔をみたくない、とか、恋人同士なら決して言わないことだ。
 しかし、トグサはすぐに思い直した。
 自分たちは恋人同士ではない。お互い愛を確かめに来たわけではないし、二度と寝ることもない。
(これでいいんだ)
 自分の気持ちを割り切ってしまうと、少し楽になった。

「帰るのか」
 そこかしこに散らばった服を拾っていると、パズが声をかけてきた。
「ああ、9課の仮眠室で寝ておきたいから」
 トグサは振り向きもせず、服を着けながら答える。
「シャワーくらい浴びろよ」
「あっちで浴びるからいい」
 そう答えてから、トグサは思い直して言葉を足した。
「ここで浴びたら、そのまま眠ってしまいそうだしな」
 微笑んで、パズを振り返る。
「そうだな。……隊長殿が寝過ごしたら、またイシカワに叱られそうだ」
 そう言って、パズも微笑み返した。

 ホテルを出て、雨の中探し回ってようやくタクシーを拾ったトグサは冷たいシートに身を沈めてため息をついた。
 久しぶりに落ち着いた気分になっている。
 車窓を流れていく薄暗い街のどこかで、バトーが眠っている。きっと、消えたあの女性を想いながら。
 今までは、トグサはそんなことを考えただけで胸が焦がれそうになっていたのだが、今日は自分でも意外なほど落ち着いている。
 きっと、パズのおかげだ。

 パズは割り切ってトグサを抱いてくれた。お互いの身体を慰めるだけのためだと、口には出さなかったがハッキリと態度で判った。トグサの冷たい要求にも全て応えてくれた。
 パズと寝たあのひととき、バトーを一瞬も思い出さなかったのはきっとパズのおかけだ。
 トグサはパズに感謝した。

 それっきり、トグサはパズのこともバトーのことも頭から追い出し、雨粒が流れる車窓を眺めながら、9課に戻ってからの仕事のスケジュールを組み立て始めた。



―――



 トグサは意外なほどあっさり部屋を出て行った。
 身近に居ながら遠い存在になってしまったバトーを想い、愛情に飢えていたはずのトグサにしては思い切りのいい態度だった。
 かといって、ぐずぐずと傍に居られてもおそらく気まずいばかりだったろう。
 パズは起きてから何本目かの煙草に火を点けた。
 吐き出した煙の向こうの、雨の降りしきる空を眺めた。
 サイトーは、今ごろ何をしているのだろう。

 トグサもサイトーも同じ生身だが、ベッドの中での共通点は結局見つからなかった。 
 幸い、と言った方がいいかもしれない。おかげで、最中はサイトーのことを思い出すことはなかったのだから。
 今日、トグサを抱いたことで自分の中で何か変化があったろうか。
 煙草を咥えたまま、ぼんやりと考える。
 はっきり言って、よくわからない。
 トグサに誘われたとき、自分が何を思ったかもう忘れてしまった。
 要求されるまま、最低限傷つけない程度に乱暴に扱った。顔を見たくないと言われても何とも思わなかった。自分もそうだな、と思ったから躊躇いなくトグサをひっくり返した。
 後悔はしていないから、誘われてよかったのかもしれない。すっきりしている、と言えなくもない。
 ただ、二度とトグサと寝ることはないだろう。
 それだけは確かだった。

 たぶん、このあと出勤してからトグサと顔を合わせても、お互い普段通りの態度を崩すことはない。ふたりの間で今日の話が出ることもないだろう。
 そう思うと、パズは少し気が楽になった。

 静かな雨音を聞いていると、パズはサイトーを初めて抱いた夜のことを思い出した。
 もう少しならサイトーを待つのもいいかもしれない、と思った。





 えーと。ラブラブが信条の当サイトでは掟破りのパズトグ(笑) いかがでしたでしょうか?
 でもSSSまでの間、こういうこともきっとあったよね、みたいな。ふたりともにんげんだもの。
 この半年後、サイトーさんがアフリカから帰ってきて例の事件があり、素子さんも何食わぬ顔で戻ってきました。
 その後、禁欲のために健気にも愛しいパズさんを避けていたサイトーさんとパズさんは元通りの関係になり、バトさんも病院の一件でトグたんの大切さを再確認してよりを戻しましたよ。あーよかった。めでたしめでたし♪
とまあ、ラブラブ好きの管理人としては、こういうMy設定です(笑)


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