「……それでさぁ、あたしもあいつに言ってやったわけ。『早く逃げな!』ってさ」
「それは大変だったな」
パズは辛抱強く自分を抑え、とめどなく続くお喋りに相槌を打った。
繁華街の裏通りで、ある男の行方を追って聞き込みをしているところだった。
自分の店の裏口に立って喋っている商売女からは、抜けきらない前日のアルコールの匂いが煙草の匂いと混じって漂ってくる。
「それで、男からその後連絡は?」
「ないない。あれっきりよ。馬鹿な奴よねぇ。ちょいとした出来心でやらかしたことで暴力団から付け狙われてさ。今頃はどっかの川に浮いてるんじゃないの」
開店前のためか、化粧っ気のない女は小じわの浮いた顔をしかめて肩をすくめた。
ちょっと同情したような顔をしてみせてはいるが、男の生死に大して興味はないのは明らかだった。
パズは幾らかの金を女に渡すと、
「どうも」
と言って女から離れ、近くの路上に停めた車で待っているボーマのもとへと戻った。
「ご苦労さん」
パズが車に乗り込むと、ボーマはエンジンをかけながら言った。
「しかし、パズもよくあんな女の話を根気良く聞いてられるよなあ」
パズが女と話している間ボーマは遠くから見ていただけだったが、女の様子で大した話をしていないことは察していたのだろう。
早速煙草を咥えて火をつけていたパズは、特に何でもないように答える。
「慣れてるからな」
「女のお喋りにか?」
「聞き込みに、だ」
パズはボーマの言わんとすることを察して、苦笑した。
「男女を問わず、あのテの人間は必要なことだけを喋らせようとすると返って警戒して口を閉ざすからな。あるいは素人判断で必要だと思うことしか喋らなくなるか。だが、ああいうだらだらした会話をさせると時々言うつもりのなかったことをぽろりと喋ってくれたりする。とりとめのない会話の余計な枝葉を払うコツを覚えれば、くだらないお喋りもそれほど苦痛じゃない」
パズは窓を少し開けると、煙草の煙をフゥと吐いた。
「さっきの女も、男の住所は知らないと言ってたが、交友関係について話を振ってやったら男の付き合ってた女についてはポロポロ情報をこぼしてくれたしな」
「男が付き合ってた女とは友達だったんだろ? あの女」
「ああ。だからフルネームとか詳しい住所は聞けなかった」
「そうか、残念だな。めぼしいところには居なかったから、あとは女のところくらいだと思ってたんだが。で、どういう情報をこぼしてくれたんだ?」
「そうだな。女の下の名前とか住んでる建物の名前とかよく行くホテルとかだな」
パズの言葉に、ボーマは呆れて絶句した。それでは全部聞き出したようなものだ。
「言ったろ。だらだら会話をしてると言うつもりのないことも喋ってくれるってな」
こともなげに言ったパズに、
「怖いねぇ」
と、ボーマはにやりと笑って呟いた。
……だが、無口な人間を相手にするとなると話は別だな。
パズは口数の少ない同僚を前にして、胸の中で呟いた。
探していた男の行方も突き止めて、やはり女と一緒にいたところを確保できたため、仕事がひと段落したパズは、今日はサイトーを誘って食事に来ているのだ。
テーブルを挟んで黙々と食べるスナイパーを見つめる。
サイトーが食べ物を口に運ぶ度にはだけた胸の上でドッグタグがきらきらと光って揺れる。
タグが揺れるたびに触れているその肌のぬくもりを思い出し、パズは食欲とは別のものが込み上げてきて、思わず手を止めてため息をついた。
「どうした」
パズの様子に、黙々と食事をしていたサイトーが顔を上げてパズの皿へ顎をしゃくった。
「もう食わないのか?」
「いや、あまり食欲がなくてな」
ふうん、と呟いたサイトーは、ちらりとパズの顔を見たが、すぐにまた自分の皿へ意識を戻して食事を再開した。
「このあと、飲みに行くか?」
「いや、いい」
パズの誘いに、そっけない返事が返ってくる。
「じゃあ、おれのセーフに来るか?」
「いいや」
今度は即答で断られた。
話の継ぎ穂を失い、パズは諦めて口をつぐんだ。
やがて沈黙のうちに食事が終わってしまい、今日はもう一人で帰るしかないかと思っていたパズに、店を出たサイトーが、
「こっちだ」
と声をかけるとさっさと歩き始めた。
「おい、どこへ行くんだ? 今日はもう飲みに行かないんだろ」
パズが慌ててサイトーの後に続いて歩きながら言うと、振り向いたサイトーが不思議そうに答えた。
「今日はおれのセーフに来るんだろ。前、そう言わなかったか?」
「……」
パズはあっけにとられてサイトーを見つめた。
……こいつはあれだ。自分の話から、余計な枝葉ばかりか必要な言葉まで払ってやがるんだ。
また前を向くとさっさと歩き始めた無口なスナイパーの背中を、パズは呆れながらも慌てて追いかけた。
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