走馬灯はビールの泡とともに



 病室のドアを開け、トグサの顔を見て、バトーはやっと相棒の無事を自分の目で確認できてほっとした。

 麻取の強制介入班の襲撃を受けて「ひまわりの会」の人々が皆殺しにされ、その場にトグサが居合わせたと聞いた時、バトーは一瞬トグサも殺されたのだと思い激しいショックを受けた。
 その後きちんとした情報が入り、トグサの命に別状はないと聞いても、バトーを襲ったショックはしばらく去ってくれなかった。

 この稼業である。自分たちがいつどうなるか分からない状況に身を置いていることはバトーも解っていた。
 実際、バトーは自分がいつ死んでもおかしくないと常に思っていたし、あとに残される者の心配をする必要も無かった。死をいつも傍にあるものとして受け入れていたのだ。
 同じように、仲間の死についてもいつでも受け入れる覚悟はできていると思っていた。
 ところがどうだ。
 トグサが死んだ、と思った瞬間、バトーの電脳はそのことを理解することを拒み、頭が真っ白になった。肉体と精神が凍りついたあの刹那の瞬間。あの状態を何と表現したらいいか分からない。
 それだけではない。トグサの記憶にあてられ取り乱して怒鳴るなど、仲間の前でいろいろと醜態を晒してしまった。
 ショックからどうにか抜け出してから、バトーは自分にとってトグサの存在が何なのかをずっと考えている。

 自分のトグサに対する感情が他の仲間に抱くそれ以上のものだということは間違いない。
 トグサと二人で組むと仕事がやりやすいと思っていたが、そう感じるのは単に仕事の進行のせいではなく、感情の問題だということに最近気が付いた。トグサと一緒にいる時間が長いほど、一日が過ごしやすいのだ。
 同僚、または荒事などの任務時の仲間としての信頼はもちろんあるが、その反面、何かとトグサを庇護したい欲求に駆られてしまう。トグサに言わせれば『アンタ過保護なんだよ』ということらしいのだが。それは周囲も認めるところだ。
 自分に弟でもいれば、このような感情を抱くのだろうか? いや、弟であれば、時々トグサに感じる、絡め取って自分の中に取り込んでしまいたくなるような性的欲求を含んだ衝動に襲われることはないだろう。
(……性的欲求? なんだそりゃ)
 バトーはごりごりと頭を掻いた。
 この感情は、仲間意識でも友情でもなく、ましてや家族愛でもなく、やはり……?

「旦那、なあ、旦那!」
 不機嫌なトグサの声にバトーは我に返った。
「せっかく見舞いに来てくれたってのに、ずっと電通か?」
 病室に入るなり、バトーは安堵のあまりトグサの顔を見つめたままぼんやりしていたようだ。
「いや、そういうわけじゃねぇ。すまん……無事でよかったと思ってな。ほっとしてた」
「心配させて悪かったよ」
 バトーが無事を喜ぶ言葉を素直に口にするとは思わなかったらしく、トグサはちょっと照れくさそうに目を逸らした。
「いま、嫁さんは上の子を幼稚園まで迎えに行ってるからさ、ゆっくりしてってくれよ」
「付きっ切りで看病してくれてるのか」
 勧められた椅子に腰掛けながら、バトーは病室の隅の乳母車で眠る下の子供にちらりと目をやった。
「病院と家の往復なんだな。嫁さんも大変だ」
「まあね。この騒動で、あいつもちょっと痩せたような気がするよ」

 トグサは仕事のことを言えないという面でいつも家族に負い目を感じているようだったが、仕事の性質を思うと仕方のないことだと普段は自分を納得させていたのだろう。だが、意識を取り戻した時、最初に妻のやつれた顔を見たことがずいぶん堪えたらしい。
「真実を知らされてないってことも知らずに、おれの意識が戻るまで寝ずの看病してくれてたって思うと、ほんと申し訳なくてさ」
「重傷を負ったのは真実なんだ。気に病むことはねぇさ」
 バトーが肩をすくめると、トグサはふっと笑って言った。
「危ないから警備会社なんて辞めてくれって。目を覚ましてから何十回言われたか」
「そりゃ言うだろ。嫁さんなんだから」
「……でも、一番申し訳ないと思ったのは」
 言いかけて、トグサは言葉を切った。

「何だ」
「撃たれたとき、最初は少佐と課長に電通入れることしか考えてなかったんだけど、いざ電通送ったら、次に思い浮かんだのが旦那のことでさ」
「……おれの?」
 バトーはぎくりとした。
「意識を失う直前、一瞬だけ痛みが薄れてふわーっといい気持ちになったんだけど、その妙なハイの瞬間に、『ああ、旦那っていま何してんのかな』って思った」
「なんだぁ?」
 思わず肩から力が抜け、バトーはあんぐり口を開けた。
「あんな時に、家族のことじゃなくて何でそんなこと思ったのかなと思うと、申し訳ないやら情けないやらで。何でだろうな」
「知るか」
 おれに聞くな、とバトーは顔をしかめてみせたが、内心ではちょっと喜んでいた。
 そんな瞬間に自分を思い出すトグサが、心底愛おしいと思う。

「ああいう瞬間って、自分の人生とか家族の顔とかが浮かぶもんだって思ってたよ」
 トグサは屈託なく笑って言った。
「ところでさ、ほんとにあの時何してた? 旦那。意識がなくなる前、おれの電脳に風呂上りの旦那が首にタオル巻いて缶ビールをかっくらってる姿が出てきたんだけどさ。ほんとはどうだったのか考えだしたら気になって」
「風呂上り……」
「実際そうだったら面白いだろ? なぁ、何してた?」
 目を輝かせて無邪気に問いかけてくるトグサに、バトーは今度こそがっくり力が抜けた。

「お前って奴ぁ……」

                                                  


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