冬がはじまるよ




 道行く人々の息も白い、12月のある日のことだった。
 非番のバトーは、珍しく徒歩で買い物に出てきていた。
 よく使うセーフハウスの酒の備蓄を入れ替えようと思い、近くの酒屋で色々と買い揃えたところだった。
 下げた袋の中身が、バトーのセーフハウスにちょくちょく出入りする、チョコレートブラウンの目の男の趣味に沿ったものかどうか、もう一度確認する。電脳内のバトー特製『トグサメモ』を立ち上げ、『嗜好品』の項目を開く。
 大丈夫、これだけあいつの好きな酒を揃えれば、もう変な言いがかりをつけられることはないだろう。



 先日、9課の数人の仲間と連れ立って飲みに行き、二次会と称してトグサだけ自分のセーフハウスに連れ込んだ時のことだ。
 既にしたたかに酔っていたトグサが、そのセーフハウスに置いてある酒の種類がおかしい、と妙な勘繰りを始めたのだ。
 以前にイシカワから「うちの酒蔵の総入れ替えをしたんでな、開いてて悪いが貰ってやってくれ」と、開封はしてあるがほとんど減っていない日本酒やウイスキーなどをごっそり貰ったのだが、それをそっくりキッチンの棚に入れていたところ、目ざとくそれを見つけたトグサが、「あやしい」と言ってぶつぶつ文句を言い始めたのだ。

「ビール好きのあんたがなんでこんな酒、持ってるんだ。ここで誰と飲んだんだよ?」
「イシカワから貰ったんだよ」
 ふらふらしているトグサを後ろから抱きすくめ、首筋に顔を埋めながら答える。トグサはされるままになりながらも、なおも口を尖らせている。
「全部栓が開いてるじゃないか。誰かと飲むために買ってきて、一緒に飲んだんだろ」
「だぁから、その状態でイシカワに貰ったんだって」
 そんなことより、なあ、とトグサの耳を甘噛みするが、酒に神経を集中させているトグサは首を振ってバトーの口から逃れようとする。
「嘘だ。日本酒とかウイスキーとか、サイトーが好きそうな酒ばっかりじゃないか」
「んあ?」

 突然、意外な名前が出てきて、思わず素っ頓狂な声が出た。
「サイトー? いまサイトーって言ったか?」
「ごまかすなよ。……最近、旦那がサイトーとよく喋ってるの、知ってるんだぜ」
「はぁ?」
 酔っ払いに言われて、仕方なく記憶を掘り起こす。
 そう言われてみれば、今回の事件を一緒に担当しているサイトーとはいつもより多く言葉を交わしているかもしれない。と言っても必要以上のことを喋ることはほとんどないが。
 にしてもこの言い草は女子高生か? トグサは女子高生だったのか? いや、違うな。この思考回路は友達を取られると思い込んでる女子小学生だ。
 トグサを抱きすくめたまま、バトーの頭の中で無意味な自問自答が展開される。
「そりゃお前、今の事件でサイトーと組んでるからに決まってんだろ」
「おれもそう思ってたけど、あんたの態度がさぁ……。まさかサイトーに乗り換えるつもりなんじゃないだろうな?」
 ゆらゆらと上体を揺らしながら、あらぬ方向に向かってビシッと指を突きつけるトグサに、
「何言ってんだ、お前……」
 と、バトーは呆れて身体を離した。
「本気で言ってんのかよ?」
 トグサをくるりと反転させ、こちらを向かせて両肩を掴んで目を覗き込む。
「だって……だって、最近、旦那が誘ってくれないし」
「忙しかっただろ、お互い」
 一緒に仕事をしてるんだからその暇がなかったのを知らないはずがないと思うが、トグサは不満げにぶつぶつ言っている。覗き込んだ目がまともに焦点を結んでいないのを見て、バトーはため息をついた。

 こいつは単に酔ってるだけだ。酔っ払いが、普段の欲求不満を他人のせいにして文句を言っているだけだ。槍玉に上げられたサイトーもいい迷惑だろう。
 大体、あのサイトー相手にどうしろというのだ。
 バトーは見た目も性格も厳しい片目のスナイパーを思い出した。あのサイトーに同僚以上の愛情を感じられるのも、その身体に下心をもって触れることが(時々)許されているのも、パズくらいなものだ。
 一瞬気を逸らしたバトーに、すかさず、
「いま、サイトーのこと考えてただろ!」
と、酔っ払いとは思えないほどの鋭い勘で察知したトグサが詰め寄った。
 バトーは再びやれやれとため息をつくと、諦めて説得に専念することにした。
「おれはいつもお前のことしか考えてねぇよ」
 真面目な表情を作り、正面のトグサをじっと見つめて低い声で言うと、険を含んでいたトグサの目がたちまち緩んでいく。
「だ……だんな」
「いまもお前のことしか考えてない」
 歯が浮きそうな自分の台詞に、思わず走り回りたくなるが、ぐっと堪える。
「このセーフにはお前しか入れてねぇし、今後お前以外の奴を入れるつもりもない」
「う、うん」
「あの酒はイシカワが余ったやつをくれたってだけのもんだ。おれはお前と一緒に飲もうと思ってたんだぜ?」
「……うん」
「わかったか?」
「うん。ごめんな、旦那」
 甘く響く声にうっとりとなって素直に頷くトグサの額に、優しくキスを落としたバトーは、トグサを抱き寄せ、ぐっと抱きしめた。
 これでやっと、今夜の本来の目的を達することができる。バトーはぐったり疲れた精神を奮い立たせ、トグサを寝室へ誘った。


 バトーはがちゃがちゃと酒瓶の鳴る袋を提げて歩きながら、思いついて、電脳内の『トグサメモ』をもう一度開いた。『備考』欄へ、新たなメモを追加する。
『・トグサは意外と酒癖が悪い(飲み会の後を狙う時は、酒の量を見張ること)』
『・トグサは意外と嫉妬深い(たぶん無意識)』
『・トグサは意外とサイトーをライバル視している』
 ちょっと考えて、三つ目のサイトーの項目に『?』を書き加える。普段はたとえバトーがサイトーと二人で飲みに行ったとしてもトグサは何も言わない。滅多にそんなことはないが、これまでトグサがやきもちを焼くそぶりなど見せたこともなかった。バトーは三つ目のメモをいったん削除し、もう一度書き直した。
『・トグサは場合によってはサイトーをライバル視する(滅多にないが、注意)』
 ふむ、とメモを見直すと、満足して閉じる。この『トグサメモ』も、随分項目が増えてきた。一度、整理して外部記憶に移しておこう。

 クリスマスの赤と緑の飾り付けが街を彩っている。
 どこからか流れてくるジングルベルを聞きながら、バトーは足取りが軽くなるのを感じた。

 確か、メモにはクリスマスに関する項目もあったはずだ。今度、よく確認しておくか。

                                                  


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