狙撃手、危機一髪 おまけ (バトグサ+パズサイ+イシカワ)
トグサは9課の自動販売機の前に佇んでいた。 いつの間にか商品の入れ替えがあったらしく、お気に入りだった青い缶のコーヒーが消え、新商品らしい赤や緑の缶コーヒーが並んでいる。 (うーん……ここは冒険して新商品を試してみるべきか、青缶が残ってる1階の自販機まで買いに行くか……) 真剣に悩んでいた。 さっき出勤してきたとき、駐車場から入ってすぐの自販機には青い缶コーヒーがあったのを見ていたのだ。 下唇を噛み、腕を組んで新商品のサンプル缶を仔細にチェックする。 ひとつはブラック、その隣はミルク多めのカフェオレ風。その隣には微糖ものと、そのいずれでもない普通のものが並んでいる。 とりあえずブラックコーヒーと微糖は選択から外す。朝は甘いものを飲むと決めていたからである。 (ううーん……ハズレを引くと今日一日の出鼻が挫かれるからなあ) トグサはいつの間にか眉を寄せ、難しい顔になっていた。 ――― バトーはエレベーターから降りると、廊下を共有室に向かっていた。 途中、廊下のコの字型に引っ込んだ自販機のコーナーに、トグサが立っているのに気づき、声をかけようとして息を吸ったところで思いとどまった。 トグサの様子が変だ。 真剣な顔で前方を見つめたまま、腕を組んだ体勢でじっと佇んでいるのだ。 (何かあったのか?) 共有室に入ろうともせず、こんなところで何を悩んでるんだ。 (もしかして、家族に何かあったのか?) バトーはハッとして息を呑んだが、すぐに思い直した。もしそうならこんなところで突っ立っ ていないで今日は休みをとっているだろう。トグサの有休は有り余っているはずだし、今日は特に急ぎの案件もなかったはずだ。 下唇を噛んだトグサは、自販機の白い光を瞳に映したまま、ゆらゆらと視線をさ迷わせている。 (娘の進路に悩んでるとか) いやいや、あの子は確かまだ幼稚園児のはずだ。 バトーはトグサの財布に入っている、毎月こまめに更新される親馬鹿写真に写っていたあどけない顔を思い出し、心の中で首を振った(トグサが写真を更新するたびに自慢げに見せてくるので、お付き合い程度に見てやっていたのだが、今月の写真は確か娘の幼稚園の運動会の写真だったはずだ)。 でも、まてよ。私立の小学校に通わせるか悩んでるのか? 今時、小学校でも受験して入学するのは珍しくない。もしかしたら、そういう家族の行く末について妻と意見が合わず、出勤前に喧嘩したのかもしれない。 バトーはトグサの横顔を見つめて立ち止まったまま、いつになく深刻に悩む相棒に何と声を掛けたものか、すっかり困惑してしまった。 ――― サイトーは今朝は早い時間に出勤し、ロッカールームでロッカーの整理をしていた。 先週は入院していた間の仕事を片付けるためセーフハウスに戻れない日が続いたので、洗濯していない着替えの服や下着が随分溜まっていたのだ。 持ってきた大きめのスポーツバッグにそれらを適当に詰め込み、ついでにゴミを掃除したりしていると、思いのほか時間がかかった。 すっきりしたロッカーを閉め、洗濯物の入ったバッグをいったん車に置いてこようとロッカールームを出たサイトーは、廊下の向こうにバトーを見つけて、おや、と足を止めた。 バトーが廊下の真ん中で立ち止まり、じっと何かを見つめている。 視線の先は、自販機コーナーにいるトグサのようだ。ここからは茶色い後頭部がちらりと見えるだけだが、あの長い襟足は彼に間違いない。 (何やってるんだ? あの二人は) 会話をしている風ではない。電通でしゃべってるという可能性もあったが、こんなところで電通する意味はないだろう。廊下には他には誰もいないのだ。 二人とも身動きひとつせず、じっと佇んでいるようだが、何やら深刻な雰囲気が漂っている。バトーが見つめているというのに、トグサはバトーを振り向きもしないのだ。 (痴話喧嘩か) それらの様子を見ただけで、サイトーはあっさりそう判断を下した。 そうだそうに違いない。それ以外には考えられない。 バトーとトグサの関係は、9課の中では公然の秘密だ。 普段から他の仲間より距離感の近い二人だったが、そこには不倫カップルの暗い猥雑な雰囲気 はなく、サイトーは好感をもって見ていたのだ。 が、それはそれとして、 (痴話喧嘩に巻き込まれるのはごめんだな) と、眉をしかめる。 廊下をこのまま進めば、嫌でも二人の間を通ることになる。自分も大きなバッグを担いでいるし、大柄なバトーが廊下のど真ん中で立ち止まっている以上、何か声を掛けなければならないだろう。 だが、痴話喧嘩中の不倫カップルに、「やあ」とか「よお」などと言うのも躊躇われるし、一体どんな空気で近づけばよいのか。 「なんだ、どうしたんだ?」などとうかつに声を掛け、「こいつがこんなこと言ったんだが、サイトーはどう思う」なんてことになったら鬱陶しいことこの上ない。 「ちょっと通るぜ」とか「ちょっと失礼」とかが無難なところか? しばしの間、サイトーの脳内であらゆるシュミレーションが渦巻いた。 ――― 「なあ、ちょっとこれ見てみろよ」 イシカワが髭を撫でながら、ちょうどダイブルームに入ってきたパズに声を掛けた。 悪戯をしかけた子供のように意地の悪い笑みを浮かべているイシカワは、 「なんだ」 とパズが尋ねると、「これこれ」とモニターに映るいくつかの映像を指してみせる。 ひょいとモニターを覗き込むと、パズは眉を潜めた。 モニターの画面が4つに分割されており、それぞれの映像は9課の監視カメラから引っ張ってきたもののようだ。 左上の画面はエレベーターからロッカールームに至る廊下の全景で3人の人影が映っている。あとの画面はその3人をそれぞれピックアップしたもので、右上は自販機の前で腕を組んで唇を噛んでいるトグサ、左下は何か言いたげな表情を浮かべて所在無く立っているバトー、右下は大きなバッグを肩に下げ、ぎゅっと眉をしかめて何やら考え込んでいるサイトーだった。 そして、サイトーはバトーを、バトーはトグサを、トグサは自販機をそれぞれ見て固まっているのである。 「どう思う?」 にやにやしながら、横からモニターを覗き込んでいるパズを見上げたイシカワは、パズがみるみる表情を曇らせるのを見て、思わず吹き出ししそうになるのを堪える。 「お前には、どんな状況に見える? パズ」 「……」 パズはじっと画面をみつめた。 トグサはおそらく、何か決断しかねて迷っているのだろう。バトーはそんなトグサを心配そう に気遣っているのは間違いない。 だがサイトーは……。 サイトーは、トグサを想うバトーを見て複雑な表情しているように見える。 (サイトーのやつ、いつからバトーに……?) パズはサイトーの表情に、胸をかき乱された。 サイトーの入院中にはこまめに見舞いに行ったし、一度はちょっと失敗したが、寝ているサイトーにこっそり何度かキスもした。 おれの、サイトー。 ……クソッ、あいつ、やっぱりおれには興味ないのか? イシカワは、4つの画面を順番に追っていったパズの視線がサイトー画面で止まり、怪訝な表情が焦燥と不安の混じる表情に変化して固まったのを見て、自分の思惑が見事に当たったことを悟った。 そこでとうとうイシカワは耐え切れずに吹き出すと、 「ぐわっはっはっはっは!」 と、のけぞって大声で笑い始めた。 「な、んだよ」 急に爆笑し始めたイシカワに、驚いたパズが画面から視線を外して振り返る。 涙を流しながら笑い続けるイシカワは、実はトグサが自販機の前で立ち止まった時点から、ずっと見ていたのだ。そのため、トグサが缶コーヒーの種類で迷っていることもわかっていたし、バトーが勝手に勘ぐって心配していることも、サイトーがどうやって無難に通り抜けようかと考えあぐねていることも、すべて解っていた。 この状況をパズに見せたら必ず勘違いするだろうと思っていたところへ、ちょうど当の本人がやってきたというわけだった。 「いやー、面白すぎるだろ、お前ら」 ――― その後、トグサはやっぱり一階の自販機に行こうと決めて振り返り、 「あ、おはよー旦那」 と屈託のない笑みをバトーに向けて。 バトーは悩みなどなさそうなトグサを見て、自分が勘違いしていたことに気づき安心して挨拶を返すと、再び歩き出したところでサイトーに気づき、 「よお、サイトー。早いな」 と声をかけ。 サイトーは二人が喧嘩していたわけではないと知ってほっとして、 「ちょっとロッカーの整理をしてたんでな」 と頷き、バッグが当たらないようお互い避けながらバトーの隣を通り抜けて、トグサの後を追ってエレベーターへ向かい。 モニターの3人が動き出したところで、パズは自分が馬鹿な思い違いをしていたことと、尚且つそれを横で楽しまれていたことに気づき、まだ笑っているイシカワを睨みつけた。 わずか数分のフリーズアウトが解けたところで、やっといつもの9課の一日が始まろうとしていた。 |
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